2017年3月に上場を果たした「ほぼ日」は、コピーライターだった糸井重里氏が個人事務所としてスタートし、独自の組織となった。そのユニークな組織の謎を解き明かそうと、社会学者である著者が同社の社内調査を担うことになった。なぜほぼ日は組織らしくない組織なのか。本連載では、その謎の解明に迫る。全8回。
「報告、おもしろかったです。では次は、樋口さんが『おもしろい』と言っていたことをやりましょうか。その動機のあることを」
糸井重里さんにそう言葉をかけられたのは、私にとって、あまりに突然のことだった。そのときは頭の中がまっしろになって、どういう言葉で返答したかは覚えていない。もちろん、いつだったのかは覚えている。2015年の3月のことだ。
年明けからの約3ヵ月間、私はインターンとして「ほぼ日刊イトイ新聞」の数値分析をしていた。インターンは当初、「事業の振り返り」をするという業務で募集がされていたものの、採用の過程で、私が過去にデータ分析を経験があるから、と代わりに依頼されたものだった。その分析の報告を全社員の前で1時間ほどした後、糸井さんと少しのやりとりをした後で、かけられたのが冒頭の言葉だった。
たしか、「樋口さんは、どうしてウチに興味を持ってくださったんですか?」という質問に、しどろもどろになりつつ、こう答えたように記憶している。
「コンテンツの水路図[注1]という独自のモデルを使って、チームでコンテンツをつくっているというのが、面白いです。しかもそれを現場の社員が、自分たちのプロジェクトを振り返るのにも使われているところが、特に。机上の空論ではなくて、道具として使われているということが。それはどういう風にやられているのだろうと思って」
「……そうですか、では、今度はそれをやってみませんか」
この一言が新たなきっかけになって、私は社内向けの調査として、「この企業の、組織としての特徴は何か」を探ることになったのである。組織社会学を専門の一つとしている私にとって、それは多くの驚きと気づきをもたらしてくれた調査になった。
この連載では、その参与観察(フィールドワーク)とそこから得られた考察を、調査の間で経験したさまざまなエピソードを織り交ぜながら、組織論や社会学を専門としない一般の読者向けに紹介していく。
調査は2015年6月から2016年3月までの10ヵ月間、さまざまな会議への参加や、役員・社員へのインタビューなどを中心に実施した。それらを資料として、「ほぼ日」が組織としてユニークな点は何か、組織としてどのような構造を持ち、その構造を持つことでどんな特徴が生まれているのかを明らかにしていきたい。
現在も営業している上場企業のため、以下の連載で描かれるエピソードは特に断りがない限り、上記調査期間のものである。2017年現在では変化している可能性がある。細部の事実には変化も多いだろう。それでも、この企業の根幹は変わっていない。そのエッセンスの部分をお伝えできればと考えている。
会社としての「ほぼ日」とは
まずは、簡単に企業の概形を紹介しよう。
正式な会社名は、冒頭で記したように株式会社ほぼ日である。調査時点では株式会社東京糸井重里事務所だったが、2016年12月に改称した。その名前から類推できるように、コピーライターとして広く知られている糸井重里氏の事務所が母体になっている。
調査時点で従業員は55人、2015年の売り上げは32億円、利益は3億円ほどであった(2017年4月時点で契約社員を含む社員は73人、2016年の売上げは37億円、利益は5億円)。事業は主にインターネット上のメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」での対談やインタビューなどの読みものを中心としたコンテンツの提供と、独自に開発した商品の販売からなっている。
一般的なインターネット・メディアと比較したときの特徴は、記事に一切広告料のある広告をつけずに無料で提供し、企業としての売り上げを物販によって成立させている点である。
事業の軸となっているメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」にもその名を冠していることから、サービスも、そして組織も、ともに糸井氏の個人的な活動という印象を抱かれる傾向にあるが、そんなことはない。メディアが開始された1998年当初こそ、個人的なプロジェクトの色合いが強かったが、2007年以降は人事担当をはじめて置いて組織図を作成したり、コンテンツ制作過程の概念図を作成したりするなど、意識的に企業としての制度や仕組みを整えてきている。
2012年には「独自性がある戦略を実行し、その結果として業界において高い収益性を達成・維持している企業」に贈られる、ポーター賞を受賞した。さらに、2017年3月16日に上場を遂げている。
ややもすれば、クリエイティブな人々がただ楽しく、のびのびとコンテンツを制作していると思われがちな「ほぼ日」は、実はそれだけではない。そうした組織内の環境を維持するための努力やコストを払い、そして組織として持続的に経営していくための緻密な計算も行っている。
ただ、そのやり方が一般的な方法と異なる点が多々あるのだ。そういう意味では、この組織は顧客に提供するコンテンツだけでなく、組織としても独創的である。