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マネジャーとリーダーはまったく別物である
リーダーシップは、どのように開発すればよいのか。この問いについて、その答えは社会によって異なる。したがって、リーダーシップの目的をはじめ、どのように分配すべきか、どのように権力を行使するのかが違う。
産業界の場合、マネジャーと呼ばれる新たな品種を進化させることで、この問いに答えようとしている。そこでは、属人的なリーダーシップを超えて、集団的なリーダーシップを発揮することで権力を倫理的に行使できる、すなわち、一個人をあがめるのではなく、組織を第一義に考えるという考え方に立っている。
このようなリーダーシップは、一方において、組織のコンピタンスを向上し、統制力を高め、事業部門間のパワー・バランスを図るうえでは効果的だが、残念ながら、企業の命運を左右するイマジネーションや創造性、さらには道徳的行動を必ずしも担保するわけではない。
リーダーシップを発揮するには、どうしても権力を行使せざるをえない。でなければ、他人の考え方や行動に何らかの影響を及ぼすことができないからだ。ところが、権力には「ヒューマン・リスク」というものが伴う。
すなわち、第1に、権力を手にすれば、すぐさま結果が出せると考えてしまうリスク。第2に、権力を身につける方法は、ほかにもいろいろあるにもかかわらず、これらをあえて無視するリスク。そして第3に、権力に執着するあまり、自制心を失ってしまうリスクである。
組織的にリーダーシップを育成し、道徳心を育む必要があるのは、ある意味、このようなリスクを避けるためとも言えなくはない。しかしその結果、「保守主義」という大企業病が蔓延していく。
ジョン D. ロックフェラー3世は、その著者『第2次アメリカ革命』のなかで、組織の保守性について、次のように述べている。
「組織は伝統と慣習に支配されたシステムであり、それぞれが独自の論理を持っている。何か事を起こす場合、以前に試したことがあり、すでに証明されている確実な方法を好み、危険を冒すことを好まず、新しいことをためらう空気が満ちている」[注1]