医療がどれほど進歩しても、患者が治療法を順守しなければ効果はない。そこで、データサイエンスと行動科学を組み合わせた「高精度エンゲージメント」という取り組みが注目を浴びている。薬や治療だけでなく、動機づけまでも個々の患者に合わせて提供する方法であり、すでに大きな成果を上げ始めている。


 医療従事者と医療保険者は、従来型の医療における「平均値の欠陥」と呼ぶべきものを克服するために、ビッグデータをますます利用している。つまり、集団レベルで検証済みの治療法は、実際には、ある人には効果があるが、別の人には効果がないかもしれないのだ。

 したがって、高精度医療(プレシジョン・メディシン)の目標は、患者の診療記録に準拠した、より細密な遺伝子型や表現型のデータに基づいて、集団ではなく個人にふさわしい治療法を特定することである。このような個人データ主導型の治療計画によって、特定の治療法が特定の患者に効く可能性が高まる。

 だが、従来型医療も高精度医療も、患者の行動改善にまつわる「ラストマイル問題」に直面する。最も適切な治療法であっても、患者がそれを最後までやり通さなければ効果はないということだ。治療法を順守しないことによるコストは、控え目に見積もっても米国で年間2500億ドルを上回り、手術後に再入院するケースの大半は、退院治療計画の非順守によるものである。

 治療法の順守に関する問題は、長年にわたり認識され研究されてきた。だが、ようやく最近になって、行動科学に基づく手法が、患者による順守を実際に向上させるために用いられるようになった。ペン・メディシン(ペンシルベニア大学系列の医療機関)の「ナッジ部門」ディレクターであるミテシュ・パテル医師によれば、「人間の行動は、およそあらゆる医学進歩の適用における、最後の共通経路である」という。

 パテルのチーム(デロイトのスタッフを含む)は現在、データ主導の高精度医療が、「高精度のナッジ」をも組み込むことで、医師の勧めに対する患者の順守意図を高められるかを模索中である。その方法は、患者固有のモチベーション特性に対応するよう設計されたインセンティブスキームの中から、選択肢を提供するというものだ。

 行動科学者たちが編み出すナッジ手法のレパートリーは、拡大の一途をたどっている。ナッジとは、環境設計を少しだけ変えることで、対象者にとって最も得になる行動を、自動的に選択してもらうよう促すことである。

 たとえば、ペンシルベニア大学ウォートン校の行動経済学者であるキャサリン・ミルクマンと協働者たちは、人々に予防接種を促すための「事前約束」戦略の効果を検証した。その結果、いつ、どこで予防接種を受けるのか、特定の時間と場所を文字にして具体的に対象者に示すことが、曖昧あるいはおおまかな約束をするよりも、明らかによりよい遂行につながることがわかった。