東京海上日動の認知度を上げたイベント
しかし、この問題を乗り越えつつある企業は、ごく僅かではあるが、存在する。
最も成功しているのは、建設機械メーカーのコマツである。同社の事例はご存知の方も多いだろう。例えば、シリコンバレーの有力ベンチャー、スカイキャッチと短期間の交渉期間で契約に至り、その技術力をコマツのメイン事業に取り入れている。
工事現場でドローンを飛ばして収集した地形などのデータを、スカイキャッチのデータ解析力で、短時間で「見える化」し、現場作業の生産性や安全性を格段に高めている。この事例の成功ポイントは、技術の目利き力をもった担当者がシリコンバレーで人脈を築き、そこで収集した精度の高い情報を、スピーディに日本本社の経営層と共有し、その採用の成否を経営トップが即断したことにある(詳細は『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2018年1月号掲載の大橋徹二社長(当時)インタビューを参照のこと)。
もう1つ、あまり知られていないが、とても参考になるのが、保険会社である東京海上日動の事例だ。同社は日本では知らない人はいない業界のトップ企業であるが、シリコンバレーでは無名なため、なかなかエコシステムに入れなかった。シリコンバレーでの知名度の低さは、本社の予想をはるかに超えており、シリコンバレーの駐在員が打開策を独力で見つけ出す必要があった。この点も、日本企業の典型である。打開策の第1歩は、自社を知ってもらうところから、である。
東京海上日動は、2016年にシリコンバレーの体制を大幅に強化し、シリコンバレーで日本企業のLP(Limited Partnership)を多く迎え入れているDNX(元Draper Nexus)とWiL(World Innovation Lab)のそれぞれにLP投資をした。そして、シリコンバレーに駐在員を置いたことをきっかけにDraper Universityの本社でシリコンバレーのスタートアップを巻き込んだ「インシュアランス×」というイベントを主催した。
テーマは「インシュアランス×オートノマスビークル」(保険×自動運転)。いまではお馴染みだが、2016年では少し時代を先取りした感じがあったものに設定し、業界のリーダー企業を呼んで本質的な議論を展開した。
例えばライドシェアのリフトの経営幹部が率いる「パーソナライズされたトランスポーテーションの未来」(Future of Personalized Transportation)というセッションや、トヨタリサーチインスティテュート、BMW iベンチャーズのメンバーが自動車業界と自動運転の未来について議論した。シリコンバレーの様々なプレーヤーにとって非常に興味があるイベントを催したのである。
東京海上日動について何も知らなくても、このイベントの登壇者と招かれる人が興味深いので、シリコンバレーの有力者や業界関係者が多く集まった。
このイベントによってシリコンバレー内での同社の認知度は上がった。ベンチャーからのアプローチや人を介した紹介が格段に増え、その繋がりが別の繋がりを生む好循環により一気にベンチャーとの面談機会が増加した。その積み重ねによりシリコンバレーのエコシステムに入ることに成功した。
そして、インシュアテックの代表的なベンチャーであり、他社ではなかなかアプローチすることのできなかった「走った分だけ払う保険」のメトロマイルの、シリーズEラウンドにリードインベスターとして出資することができた。
東京海上日動は今年4月に組織変更が行われ、2016年からシリコンバレーでの活動を引っ張ってきた人物が日本本社で現地をサポートする担当となった。帰国後も、シリコンバレーからの情報発信の"キャッチャー役"や、"本社のカルチャー変革役"に取組み、駐在員が動きやすくなる土壌をつくり、日米での取組を加速させている。
筆者らの経験から、日本企業に最低限のアドバイスを要約すると、次の通りとなる。
日本企業は、シリコンバレーでは知名度の点ではゼロ、という認識を持つ必要がある。その上で、この地のベンチャーに利のある情報を自ら発信する。もし、それができないならば、資金を使ってそういう場を作り、自社の存在価値を知ってもらう。その後、シリコンバレーのベンチャーといわゆる「ウィン・ウィン」になる提案をしていく。
そして、意見交換が始まったら、1週間を目安に結論を出すことを心がけるべきだ。そのためには、現地駐在員に意思決定権を付与するか、本社の意思決定者と直に連絡が取れる関係を作ることが必要である。
人事ローテーションも、できれば5年間以上の長期間の駐在として、その間に培った人脈やノウハウは、交代時には次の駐在員に全て引き継ぎ、帰国後も現地をフォローするポジションにつくことである。

山本 康正(Yasumasa Yamamoto)
ハーバード大学客員研究員。東京大学修士号取得後、米ニューヨークの金融機関に就職。ハーバード大学大学院で理学修士号を取得。卒業後、Googleに入社し、FinTechやAIなどで日本企業のデジタル活用を推進。世界規模の起業家支援を行う財団Endeavorの立ち上げ時のManaging Directorを務め、現在ベンチャーキャピタリストとして日本と海外のベンチャー企業のビジネスモデルを精査し投資している。京都大学特任准教授。

櫛田 健児(Kenji Kushida)
スタンフォード大学アジア太平洋研究所リサーチスカラー。Stanford Silicon Valley - New Japan Projectプロジェクトリーダー。キヤノングローバル戦略研究所インターナショナル・リサーチ・フェロー。NIRA総合研究開発機構客員研究員。スタンフォード大学で経済学と東アジア研究を専攻、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士を取得後、現職に就く。主著に『シリコンバレー発 アルゴリズム革命の衝撃 Fintech,IoT,Cloud Computing,AI... アメリカで起きていること、これから日本で起こること』(朝日新聞出版、2016年)。