デジタルの理想が頓挫したこれらの事例から、私たちは何を学べるだろうか。頭がよく経験豊富なこれらのリーダーはいかにして、後知恵で考えればあまり賢明ではない意思決定をしてしまったのか。

 彼らは投資を実行し、社内のデジタル担当リーダーからもマスコミからも熱狂的な反応をたくさん得て、投資を増やす――このサイクルが繰り返された。これらの企業は豊富なリソースを持っていたものの、デジタルへの大きな賭けは、そのせいで事業の他の部分に生じた損失を埋め合わせるほど早急には、利益を生まなかった。あるいは、利益の規模が十分ではなかった。

 この背後には、デジタルへの過度の熱狂と市場の減速だけでなく、他にも何かがあると筆者らは考えている。革新的なビジネステクノロジーの波が起きるたびに、この種の不幸な判断は何度も繰り返されてきたのだ。

 eコマースをめぐっては、ステープルズ(オフィス用品店チェーン)やウォルマートが、独立したeコマース部門を立ち上げて多大な投資を行い、結局はそれらの部門が自社のリソースを垂れ流すだけに終わった。

 アナリティクスとビッグデータに関しては、シアーズやジンガ(ソーシャルゲーム会社)が巨額を投じてアナリティクス部門を立ち上げたが、その投資が報われることは、ついになかった。

 そしていま、同じことがデジタルトランスフォーメーションでも起きている。デジタル能力の構築に向けた大規模な取り組みが、財務業績をめぐる根本的な問題に直面するとき、カギとなる教訓がいくつか浮かび上がる。

 第1に明白なのは、デジタル能力と同等かそれ以上に、自社の成否に影響しうる要因は、他にもたくさんあるということだ。経済情勢や、自社製品の魅力度などもそこに含まれる。したがってマネジャーは、デジタルを――あるいは他のいかなる重要な技術革新をも――自社を確実に救う手段と見てはならない。

 第2に、デジタルとは単に「買ってきて、自社に接続すればいい」というものではない。多角的で拡散的なものであり、そのテクノロジーだけがあればよいわけではないのだ。

 デジタルトランスフォーメーションとは、自社のビジネスのやり方を変えるための継続的なプロセスである。スキル、プロジェクト、インフラ、そしてしばしばITシステムの整理といった、基礎部分への投資が求められる。人材、機器、業務プロセスを混ぜ合わせる必要があり、そこには必然的にさまざまな混乱が伴う。

 加えて、経営トップによる継続的なモニタリングと介入も必要となる。デジタルを担当するリーダーとそうでないリーダーの両方が、トランスフォーメーションの取り組みで賢明な判断を下しているかを、トップみずから確かめるためだ。

 第3に、自社のデジタル投資を、業界――つまり顧客と競合他社という両者の、準備度(レディネス)に合わせて調整することが重要だ。

 たとえば、P&Gが2012~13年にデジタル施策を推進した際、同社はすでに、消費財業界のほとんどの企業よりも(あるいは、すべての企業よりも)かなり先を行っていた。筆者らの評価では、同社はいま現在でも――たとえCEOマクドナルドの退任後にデジタルへのテコ入れが弱まったとはいえ――やはり先頭を行っている。P&Gはおそらく、当時もっと的を絞ったデジタル投資をしていれば、競合他社にそれほど押されずに済んだかもしれない。

 今日の同社はまさに的を絞っている。自社の戦略と密接にフィットしていない、または価値創出に直結しないデジタル施策は実行されない。現在の同社が、以前とは別の企業乗っ取り屋に攻撃されていることを踏まえれば、このデジタル面のガバナンス規律は素晴らしいやり方だ。

 最後の教訓として、既存事業があまり順調ではないとき、新たなビジネスモデルを求める声は、必要以上に強く響く場合がある。新しい相手との関係がもたらすときめきに身を任せ、ときめきは少なくても安定していた結婚生活を破綻させる人は、たくさんいる。

 これと同じように、テクノロジーを基盤とする「セクシー」なビジネスを立ち上げるという展望は魅惑的だ。デジタルの魅力は人を夢中にさせることがあり、そのせいで経営陣は、新しいものに過度の関心を向け、既存のものに十分な意識を向けなくなるのだ。

 シアーズによるアナリティクスへの投資は、悪い考えではなかった。しかし、同社の施設とサービスはもっと投資を必要としていた。

 ナイキの経営陣は2014年、デジタル部門を縮小したために嘲笑を招いた。だがこの決断によって、彼らは継続的なデジタル投資の対象を、より高価値の取り組みへと集中できたのである。同社は先頃、既存事業での人員と製品の種類を減らすという決定を下すと同時に、デジタルの販売チャネルは引き続き向上に努めることを決めた。この判断は、既存のものと新しいものの両方を最適化する取り組みと思われる。