破壊的変化の犠牲となったコダックを、「経営陣の近視眼」や「デジタル変革の失敗」の象徴とすることは、的を射た指摘とは言えない。技術変革には成功しながらも破綻した同社から学ぶべき、正しい教訓は何か。
一昔前、「コダック・モーメント」といえば、保存して堪能する価値のあるシャッターチャンスのことを意味した。しかし今日、この言葉は、経営者に対する警告の意味合いを強めている。市場に破壊的変化が忍び寄ってきたら、立ち上がって対処しなければ大変なことになる、という戒めだ。
とはいえ残念ながら、イーストマン・コダックの身に実際に起きた出来事は、時の経過とともに細部が忘れられていく。そして経営者は同社の苦難から、誤った結論を導き出すようになっているのだ。
コダックの事業の柱がフィルム販売だったことを考えれば、ここ数十年にわたる苦戦の原因は容易にわかる。カメラはデジタル化を経て、携帯電話に取って代わられた。写真は印刷されなくなり、オンライン上でシェアされるようになった。もちろんいまでも、人々は昔の書物をコピーしたりホリデーカードを印刷したりする。だが、その量はコダックの全盛期と比べれば取るに足らない。
同社は2012年に破産法を申請し、レガシー事業から撤退して特許を売却。大幅に規模を縮小して2013年に再出発した。かつて世界屈指の有力企業だったコダックの現在の時価総額は、10億ドルにも満たない。
なぜ、こうなってしまったのだろうか。