コースの定理は「生産的な摩擦」の存在を見落としていた

 経営者の悩みの一つは、ビジネス・パートナーとの関係である。現在、大半の企業が重要な事業価値を提供するうえで、サプライヤーや流通チャネルに多くを依存している。しかし、これら社外の組織とのやり取りには、必ずその調整にコストと時間がかかる。つまり、そのパートナーに関する情報を収集したり、契約内容を取り決めたり、仕事ぶりを監視したり、場合によっては、別のパートナーを探さなければならないのである。

 MBAホルダーならば、こう言うかもしれない。「そのような取引コストの存在こそ、『コースの定理』の根拠である」と。1991年にノーベル経済学賞を受賞したロナルド・ハリー・コースは、企業が何らかの活動をみずから実施するのは、主に次の2つの場合であると指摘した。

 一つは、自社より優れた能力を有する企業が見つからない場合、もう一つは、ほかに優れた能力を備えた企業があるとはいえ、業務委託する金と手間暇を考慮すると、自前で処理したほうが安上がりの場合である。つまり、企業という組織が形成されたのは、取引コストを効率化するためだというのだ(囲み「現代の『企業の本質』とは何か」を参照)。

現代の「企業の本質」とは何か

 企業の存在意義とは何か。一つの論文が、研究者や経営者たちの考え方を長らく支配してきた。ノーベル経済学者のロナルド・コースが、1939年に発表した"The Nature of the Firm"(企業の本質)である。

 この論文のなかで、コースは「経済活動には必ず取引コスト、もしくはインタラクション・コストが伴う。そこで企業という組織が存在したほうが、市場よりも低コストで資源を調達できる場合がある」と主張した。つまり、企業の存在意義は、主に取引コストの効率化であるというのだ。

 しかしその後、ITが発展し、企業内および企業間のインタラクション・コストは、徐々に低減していった。そこで、そろそろ企業の存在意義について再考すべき時ではなかろうか。

 むろん、企業の存在が不要になったというわけではない。むしろ、経済価値を創出するうえで、以前とは異なるかたちで重要な役割を果たし続けるだろう。

 我々が思うに、企業の存在意義は、既存の資源を効率的に利用することから、ケイパビリティの構築と組織的なイノベーションの創出へと変わってきている。

 単に、コア・コンピタンスは戦略の基盤という意味ではない。それよりも──たしかにそれとも関係するが──「コア・コンピタンスは企業の存在意義そのもの」なのだ。

 これからは、最も効率よくケイパビリティを構築できる企業だけが価値を創造し続ける。それ以外の企業は、朽ち果てるしかない。

 その後、取引コストの中身は変化したが、コースの定理はいまだに大きな影響を及ぼしているようだ。ITの発展によって、複数企業間の調整にかかるコストは減少し、その結果、アウトソーシングが拡大した。それまでは社内で処理されていた活動が、他の企業に委託されるようになったのである。

 アウトソーシングのメリットが小さくても、専門能力を備えた社外の企業を選好する企業が増えている。そのため、特定分野で製品やサービスを提供する、これらアウトソーサーは雨後のたけのこのごとく増殖している。とりわけ、ほぼ摩擦ゼロのアウトソーサーの価値はより高まる。

 しかし、コース、もしくは彼の信奉者たちは、取引コストばかりに気を取られていたのではなかろうか。というのも、企業間のインタラクションによって、当初の想像を超える優れた製品やサービスが生み出される例があるからだ。そう考えると、インタラクションそのものが利益を生むことも考えられる。

 我々が知る企業のなかにも、他社と協業し、その専門能力を取り込むことで、自社の効率性を改善し、ライバルよりも早く成長したという例が見られる。これらの例を見る限り、企業間の取引は、単にコストと決めつけるだけでなく、イノベーションの源泉でもあるのではないか。つまり「生産的な摩擦」が存在するのではないだろうか。

フラットパネル・ディスプレー技術は摩擦から生まれた

 生産的な摩擦は理論的に証明しうる。また、実例もある。たとえば、日産デザイン・インターナショナル(現日産デザイン・アメリカ)の創業者、ジェラルド・ハーシュバーグは「創造的摩擦」(creative abrasion)という言葉を使った。ハーバード・ビジネススクール教授のドロシー・レオナルドは、その著書『知識の源泉[注]』のなかで、この考え方をさらに発展させた。