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企業が膨大なデータをビジネスに利活用するようになり、消費者は多大な恩恵を得る一方、自分たちの権利が適切に保護されるか否かを不安視している。この課題に対処すべく、新たなプライバシー法の導入など消費者保護の具体策が論じられているが、その議論はデータエコノミーの本質を理解したうえで進められているのだろうか。筆者は、データエコノミーとは物々交換(バーター)経済だと主張する。このような文化人類学の視点でデータエコノミーをとらえることは、データに関する議論に5つのメリットをもたらすという。


 昨今、消費者データの使用は急激に増加し、その慣行に対する世間と政府からの批判も大いに高まっている。

 数年前に大問題となった、ケンブリッジ・アナリティカをめぐる政治スキャンダルを考えてみればわかるだろう。また、フェイスブックなどのソーシャルメディアが独占的な力を乱用していないかどうか、世界各地の規制当局が調査に乗り出しているのもその一例だ。

 米国議会では現在、テクノロジーに対する規制強化を求める超党派の新法案が検討され、連邦取引委員会(FTC)の委員長にはリナ・カーン(テック企業への規制推進派)が任命された。こうした動きも、論争を激化させる一方である。

 では、消費者にとって倫理的な形で、規制当局の反感を招くことなく、企業がデータを使う最善の方法は何だろうか。この問いは現在、経営陣の間で絶えざる不安を生んでいる。

 提案されている政策対応はさまざまだ。いくつか例を挙げれば、巨大テック企業の分社化、独占に対する規制の強化、新たなプライバシー法の導入、消費者に自身のデータを「所有」させる、などがある。

 シンプルかつ重要な第一歩は、この問題をめぐる議論の切り口を変えることだ。政策立案者、経済学者、技術者、法律家、ビジネスリーダー、そして消費者は、文化人類学からアイデアを借りて、「バーター」(物々交換)という概念を考慮すべきなのだ。

 そうすることで規制当局と投資家は、現在のテック界の中核を占めながらも長らく目に見えなかった、交換の規模と本質に意識を向けるようになる。そして、もっと受け入れられやすい消費者保護の枠組みをつくる方法についても関心を強めるはずだ。

 これは最初、奇妙に響くかもしれない。結局のところ、人類学は最も知られていない社会科学の一つであり、関連する最も有名なものはインディ・ジョーンズではないだろうか。そして「バーター」という言葉は、肉とベリーを交換するような場面を想起させる。現代の経営陣、ましてやシリコンバレーからは遠くかけ離れたイメージのように思える。

 バーターは先史時代の習慣であり、社会が金銭を発明した時に消え去るものだと、経済学者は考えがちだ。少なくとも18世紀の知識人アダム・スミスはこのように冷笑的な見方をして、それが今日における経済学の考え方を方向づけている。

 決まり文句を借りれば「この世は金で動いている」ので、経済で最も重要な物事は金銭的単位で測られるか、金銭で成り立っている――これが、欧米のほとんどの企業幹部が身に付けている文化的前提だ。したがって、金銭が介在しない取引(つまり「無料」と呼ばれるもの)は軽視または無視される。

 しかし、人類学者は経済の仕組みについて、はるかに広い視野を持っている。交換がどのように社会を結合させているかを広義で捉え、貨幣を基準とする交換は人々を結びつける流れの一つにすぎないことを理解している。社会的信用、贈与、バーターといったシステムは、公の場で議論されることが少なく、経済モデルに織り込むのが容易ではないとしても、やはり重要なのだ。

 隠れているようで実は明白なもの――すなわち非金銭的な流れに目を向けることは、現代のデジタルエコノミーのあり方を示す一助となる。

 結局のところ、フェイスブックやグーグルを含む多くの企業の事業戦略は、部分的には金銭を伴わない交換だ。インターネットサービスの提供と引き換えに、消費者データが収集されている。肉とベリーが交換されるのと同じだ。