だれもが目標を一つに絞りがちである

 55歳のベンチャー投資家の場合

 彼は、ある投資案件のことで思い迷っている。新規事業につき合って、何年も財務とマネジメントの世話を焼くだけのエネルギーが残っているかどうか、自信がない。

「ああいう忙しいペースをまた楽しめるとはとうてい思えないし、正直言ってそろそろ家族とゆっくり過ごしたい気分だ。仕事をするからには、だれにも引けを取らずにバリバリやるのでなければ、自分で負い目を感じるだろう。思い切って引退すべきだろうか」

 消費財メーカーで年商10億ドルの部門を任されている事業本部長

 ある新商品の発売が迫っている。ところが製造と流通に問題が生じ、発売が遅れそうになってきた。しかし、販売店が争ってほしがる商品であり、株価を維持せんとする圧力も強い。もちろん、新商品の成否は自分の報酬をも大きく左右する。発売を強行しても、成功は疑いない。

 しかし一時のことだ。消費者の苦情から生じる将来のコストと、問題の修正にかかる時間とが、間違いなく業績を悪化させる。このような状況において、いったい何が成功と呼べるのだろうか。

 出世コースに乗った32歳の女性ソフトウエア・エンジニア

 教会音楽の学位も取得している彼女は、仕事だけのキャリアに何か物足りなさを感じていた。

 高給の管理職としての生活を望んでいたが、ソフトウエア業界の仕事などよりも、教会でパイプオルガンを奏でているほうがずっと充実感がある。もちろんいつかは家も買いたいし、夫や子どももほしい。

 彼女はこのようにみずからに問いかける。「何もかも手に入れる道はないのかなあ。そんなに無茶な望みなのかしら」