エコシステムを世界に開くために、大企業が担う役割は大きい

植木 日本でも医療機器ベンチャーが増資やエグジット(株式公開や売却による投資資金の回収)に成功する例が増えてきて、医療機器のスタートアップエコシステムが形成されつつある段階かと思います。

池野 富士山で言えば、まだ5合目の手前くらいでしょうか。というのも、まだ日本だけに閉じたエコシステムだからです。米国だとスタートアップがある程度成長した段階で、グローバル企業に買収され、それによって開発した製品がいっきに世界中のマーケットに広がっていくことが日常茶飯事ですし、イスラエルのスタートアップは米ナスダック市場に上場するのが当たり前になっています。

 日本はユニコーン(時価総額10億ドル以上の未上場企業)が少ない、もっと増やすべきだという議論がありますが、目指すべきゴールはそこではなく、製品が世界で受け入れられて一人でも多くの患者さんを救うことですよね。日本の医療機器市場は世界の10%程度で、それなりに大きいのですが、残りの90%は海外にあるわけですから、全世界に製品が流通するところまでつながったエコシステムができれば、成熟したといえるのではないでしょうか。

植木 エコシステムを成熟させるためには、スタートアップが増えることだけでなく、その事業を買収して育て、世界のマーケットに展開していく既存のプレーヤー側が担う役割も大きいということですね。

池野 その通りです。私はかなりの数の日本の医療機器メーカーのアドバイザーを務めているのですが、それは大手企業のマインドセットを変える必要があるからです。スタートアップのM&A(合併・買収)は、究極のオープンイノベーションで、スタートアップが開発した技術や製品を大企業のリソースを活かして社会実装することで、多くの患者さんを救えるようになります。

 日本の大手医療機器メーカーのマインドセットもかなり変わってきていて、スタートアップを買収する例が増えてきました。ただ、買収しているのは、ほとんどが海外のスタートアップです。理由は、海外のスタートアップのほうが事業価値が高く、魅力的だからです。

立岡 日本ではデジタル技術を活用して、病気予防や健康増進に役立つアプリや機器を開発するスタートアップは増えていますが、患者さんの命に直接関わる治療系の機器を開発するスタートアップがまだ少ない。海外に比べて魅力的なスタートアップが少ないというのは、そのことと関係しているのでしょうか。

立岡徹之
TETSUYUKI TATSUOKA
デロイト トーマツ コンサルティング
パートナー 執行役員 ライフサイエンス&ヘルスケア

池野 それは大きいですね。診断や予防、リハビリのための医療機器に比べて、治療系は圧倒的にハードルが高い。治療系の医療機器は、新薬開発と同じで治験も必要ですから、開発期間が長いし、コストもかかります。創薬ベンチャーと同じくらい大きなチャレンジが必要なのです。その代わり、成功した時の社会的な価値やインパクトは非常に大きい。

 米国でも治療系の医療機器スタートアップは8割、9割が倒産します。でも、失敗しても再チャレンジする文化がありますし、リスクマネーを含めてそれができる仕組みがあるので、チャレンジする起業家が次々出てきます。そういうチャレンジするマインドセットと医療機器開発のノウハウ、そしてビジネススキルを身につけさせるためにスタンフォード大学がバイオデザイン講座を始めたわけで、私も医者ですから治療系の医療機器開発に挑戦する人を増やしたいと思って、日米でバイオデザインプログラムに取り組んでいます。

植木 日本版バイオデザインは2015年に東北大学、東京大学、大阪大学でスタートしていますが、どのような人たちが学んでいるのでしょうか。

植木貴之
TAKAYUKI UEKI
デロイト トーマツ コンサルティング
マネジャー ライフサイエンス&ヘルスケア

池野 医師やエンジニアのほか、臨床工学技師、理学療法士、企業の研究職やコンサルタントなどバックグラウンドはさまざまです。東北大学、東京大学、大阪大学それぞれが行うプログラムに加えて、3大学のジョイントプログラムがあります。10カ月間で実施するコースとなっており、スタンフォード大学での研修やスタンフォードの教員による指導、シリコンバレーなど米国企業での実務研修も行っています。プログラムを修了したフェローの中からは、医療機器ベンチャーを起業した人が何人も出てきましたし、所属先企業や研究機関で製品開発に関わるなど、多方面で活躍しています。