1980年代の「未来の工場」の教訓
1982年、ゼネラルモーターズ(GM)は「未来の工場」を建設中であることを発表した。ミシガン州サギノーに誕生する同工場では生産が自動化され、当時、トヨタ自動車や日産自動車と激しく競争していたGMの事業に新たな力を与えるはずだった。GMはその2年前に7億6300万ドルの損失を計上していた。同社の72年の歴史の中で、赤字に転落した年はそれまでに1度しかなかった。トヨタの工場を視察した当時のCEOロジャー・スミスは、競争するには自動化しなければならないと決意したのだ。
サギノーのプロジェクトは4000台のロボット軍団による生産を構想した。目指すのは生産性と柔軟性の向上だった。ロボットによって、5年かかっていた生産サイクルが最大2年短縮し、GMのさまざまな車種の間で生産を切り替えられるようになる。従業員の生産性は300%向上し、手動のシステムやインターフェースは撤廃されるだろう。有能なロボットがいれば人間はほとんどいらなくなり、照明をつける必要すらないと思われた。
しかしGMの「照明不要」(ライトアウト)実験は混乱を巻き起こした。「未来の工場」の生産コストは、労働組合に加入する何千人もの労働者を雇う工場の生産コストを上回ったのである。一部の施設ではロボットが車種の判別に苦戦した。ビュイックのバンパーをキャデラックに取りつけようとしたり、あるいはその逆のケースも発生した。また、ロボットは塗装も苦手で、ラインを流れてくる車体ではなくロボット同士で塗料を吹きつけ合う始末だった。GMはサギノー工場を1992年に閉鎖した。