デジタルインクルージョンへの道

 インドで見られるように、ID認証はデジタルと金融における包括性を高めるための強力なツールとなりつつある。個人が安全で認証済みの本人情報をデジタル空間で共有できるようになれば、その人には多くの機会が開かれる。デジタルか否かを問わず、正規のIDを持っていない人は世界で8億5000万人にも上るため、今後もさらなる取り組みが必要だ。

 IDツールへのアクセスを増やすための、小規模だが有望な取り組みが、テキサス大学オースティン校で行われている。同校のデル・メディカルスクールの研究者らは、ホームレス状態の人々が本人情報を取り戻せるよう支援する新たなプラットフォームを開発中だ。

 彼らは物理的な身分証明書を盗まれている場合が多いため、政府の援助や薬物治療といった基本的なサービスにアクセスするのが難しい。また、病院に行くと医療提供者が彼らの病歴を把握しておらず、来院のたびに診療をゼロから始めなくてはならないため、結果的にたびたび誤診されることになる。

 デル・メディカルスクールの研究チームは、スマートフォンによる指紋などの生体認証を用いて本人確認を行う方法を開発した。研究者らの指摘によれば、米国のホームレスの大半はスマートフォンを所持し、必要なリソースへのアクセスや友人・家族とのつながりを保つために不可欠なツールとして使っているという。

 彼らのIDはオンラインやスマートフォンでアクセスでき、分散型のブロックチェーン台帳を用いて保存されるため、紛失やハッキングはない。重要な点として、ユーザー自身が自分のデータをコントロールし、データの共有を明示的に承諾する必要がある。

 このプロジェクトはまだ開発途中だが、より広い社会的利益のためにID認証が有望であることを示している。

潜在的な危険性

 当然だが、ここまで紹介したテクノロジーの活用は一つの側面にすぎない。

 IDツールは世界各地で広く導入されているが、特定の種類のデジタルID(バーチャル型の運転免許証など)については、すべてのやり取りと取引処理が本人の同意なく記録され、監視されるのではないかとの懸念もある。

 貴重な個人情報には必ずつきまとう問題だが、個人のすべてのIDと医療データを保存できる一つの中央集約的な場所を設ければ、ハッカーにとって魅力的なターゲットになると懸念する声も多い。

 ID認証は、デジタル経済において人々に力を与え、信頼性を損なうのではなく高めるために使われなくてはならない。これを実行する最善の方法は、セキュリティ、透明性、消費者のプライバシーがID認証技術の中心となるよう徹底することだ。本人によるデータのコントロールとアクセスの承認が可能になるよう、万全を期す必要がある。IDツールを正しい方向に導くことで、消費者と小規模事業者の双方がデジタルインタラクションにおける信頼を確立できるようになる。

 また、ID認証とは何か、どのように使われるのかに関する疑問を払拭することも重要だ。エストニアとシンガポールのIDシステムは約20年続いており、インドでは14年前に開始された。クレジットカードやデビットカードの取引処理に使われる3Dセキュア認証の規格はさらに古く、1999年に登場した。このテクノロジーは、数十年かけてその価値を証明してきたのだ。

 ID認証は、プライバシーを奪うのではなく高めるために利用できる。たとえば、アルコールを買うために年齢確認を受ける時、一般的な運転免許証に記載されている氏名、年齢、住所、写真を含むすべての情報を共有する必要がなくなる。ID認証技術を使えば、単純なイエスかノーかの質問、つまり「この人物は21歳以上か否か」の確認で済む。その他の情報は共有する必要がない。

将来への展望

 パンデミックの期間中、事業者と顧客が対面ができなくなった時にも事業の継続を可能にしたIDソフトの恩恵を、誰もが目の当たりにした。この技術を磨き続けることが、事業の成長を促進し、最終的には人々と社会のレジリエンスを高め、次の危機に耐えられるよう後押しすることになる。

 私たちの多くがそこに希望を見出しているため、この技術を構築する取り組みは続いていく。まだ多くのことが可能であり、すでに多くのことが実現しているのだ。


"The Crucial Role of ID Verification in the Digital Economy," HBR.org, September 19, 2023.