男性の育児休業は企業の取り組みだけでは広がらない
サマリー:ビジネスパーソンはもちろん、学生や研究者からも好評を博し14万部を突破した入山章栄氏の著書『世界標準の経営理論』。入山氏がこの執筆過程で感じたのが、世界の経営学とはまた異なる、日本の経営学独自の豊かさや... もっと見る面白さであった。本連載では、入山氏が日本で活躍する経営学者と対談し、そこで得られた最前線の知見を紹介する。連載第9回では、慶應義塾大学の内田大輔氏に登場いただく。前編では、内田氏のコーポレートガバナンスの研究について語り合う。(構成:肱岡彩) 閉じる

男性の育児休業取得は、企業努力で普及するのか

入山:内田先生のご研究の中でも、2つの論文について伺っていきたいと思います。1つが2023年に日本労働研究雑誌に掲載された「日本企業における男性の育児休業の普及──先行要因の解明と業績への影響の検証」という論文で、男性の育児休業がテーマです(編注:本論文は、2023年12月公刊の「Japan Labor Issues」に英語版が掲載される。また、令和5年度<第24回>労働関係論文優秀賞を受賞)。

 もう1つは、2023年に海外のトップ学術誌の一つであるJournal of Managementに掲載された"The Wheel Comes Full Circle? An Integrated View of Organizational Responses to Institutional Pressures"という論文で、株主総会開催日について扱われています。

 Journal of Managementに単著で論文を掲載されたというのは、本当にすごいことだと思います。特に内田先生は米国や英国で博士号を取られたわけでもありませんよね。日本の大学で学位をとられた方が、海外の一流学術誌に単著で論文を掲載するのはとてもすごいことで、まさに日本の若手の経営学者にとっては、内田さんは希望の星だと思っています。もっと内田さんのような若手が出てくればいいですね。

 まず、内田先生のご関心は、コーポレートガバナンス(企業統治)にあるという理解でよいでしょうか。

内田 大輔(うちだ・だいすけ)
慶應義塾大学 商学部 准教授
慶應義塾大学商学部卒業。一橋大学大学院商学研究科研究修士課程修了、博士課程単位取得退学、2017年に博士(商学)取得。九州大学大学院経済学研究院講師・准教授を経て、2023年より現職。Journal of Managementなど国際的な学術誌に論文を発表しているほか、Mike Peng Best Paper Award (Asia Pacific Journal of Management)、日本経営学会賞(論文部門)(日本経営学会誌)、労働関係論文優秀賞(日本労働研究雑誌)など国内外で論文賞を受賞している。

内田:そうです。2つの論文は、男性の育児休業と株主総会の開催日というまったく関係ないトピックスを扱っているように見えるかと思います。けれども、どちらも経営者とステークホルダー(株主、従業員、地域社会など)の関係を考えるという広い意味で、コーポレートガバナンス研究の一部だと考えています(編注:コーポレートガバナンスについて、詳しくは『世界標準の経営理論』第35章を参照)。

入山:そもそも、なぜコーポレートガバナンスに興味を持たれたのでしょうか。

内田:私が学部生の時に出ていた大学院の授業で、マネジメント・プラクティス(経営慣行)の普及をテーマにした論文を読んだんです。その論文では、新しい経営慣行が世に広まるプロセスは、導入すれば利益が増えるといった効率性だけでは説明できず、その経営慣行の正当性(社会的に当たり前のもとして受け入れられているか)も考える必要があることが議論されていました。その時に、経済的な効率性と社会的な正当性という2つの視点から経営現象を説明することに面白さを感じました。

 当時(2010年頃)は、日本でもガバナンス改革が行われていた時期でした。その中で、執行役員制度のように広く普及した経営慣行もあれば、社外取締役のようになかなか普及が進まないものもありました。そのような新しい経営慣行が出てきたタイミングだったので、日本企業のガバナンス問題、特にガバナンスに関わる慣行の普及に興味を持ち、研究に取り組むようになりました。

入山:ではまず、内田先生の日本労働研究雑誌に掲載された「日本企業における男性の育児休業の普及──先行要因の解明と業績への影響の検証」について、詳しく伺ってもよいですか。

内田:この論文は、近年のガバナンス研究で注目されている「株主以外のステークホルダー」と「経営者」の関係に注目しました。その中でも特に、従業員と経営者の関係を検討しています。

 ステークホルダー(従業員や地域社会など)と経営者との関係を見ると、社会的には望まれる行動であるにもかかわらず、その行動に対する対価が企業に十分に支払われないことがあります。そのため、社会的に望まれる行動を、企業や経営者が積極的にとらないという外部性の問題(ある主体が他の主体に影響を及ぼしているにもかかわらず、それへの対価を誰も支払わない場合に生じる問題)が大きな課題になります。

 たとえば、地域社会と経営者の関係を考えてみると、環境に優しい技術開発への投資を多くの人はしてほしいと考えています。にもかかわらず、環境に優しい技術への投資に何ら対価が支払われることがなければ、経営者に積極的な投資を期待するのは難しいです。この意味で、環境に優しい技術開発への投資には外部性が存在するといえます。ですから、実際には規制を通じて、政府がこうした外部性の解消に乗り出し、環境に優しい技術が開発されるようにしているのです。

 同じような論理で、従業員と経営者との関係における男性の育児休業取得に関しても外部性が存在しているのではないかと検討しているのがこの論文です。男性の育児休業は、人材版伊藤レポートにみられるような人的資本改革が大きな流れとしてあったり、2023年の4月から大企業における取得率の公表が義務付けられたりと、社会的関心が高まっています。

入山:実際、どのようなことがわかったのでしょうか。

内田:この論文では、どのような企業において男性の育児休業取得が多いか、そして、男性の育児休業取得が多い企業の業績がよいか、という2つの問いを検討しています。特に先行研究では、男性の育児休業取得の便益は、取得した男性の妻であったり、その妻を雇用する企業であったり、ひいては社会全体が享受することが示されていて、社会的には望まれているものです。けれども企業にとっては、育児休業の取得者が多いからといって、業績が向上するわけではないことが、この論文では確認されました。

 育児休業は、企業が対価を得ているとは言いがたいですが、社会が望むことなので、経営者に積極的に推進するように求めるのも1つの方法です。けれども、経営者の善意に頼る形で、経営者と従業員や地域社会といったステークホルダーとの関係を考えることには限界があります。

 社会的に望まれる行動であれば、外部性の存在を踏まえたうえで、そのような行動を推進する経営者が何かしらの形で報われる必要性を示唆する内容になっています。

入山:個人的にはこの育児休業をはじめ、企業が何らかの改革を行ったとしても、そう簡単に企業の業績向上にはつながらないと思っています。現実の会社では、当然そうですよね。

 よく言われるものに「ダイバーシティが高い会社は、業績がいい」というのがあります。けれども、これは必ずしも的確とは言えませんよね。むしろ業績がいい会社は余裕があるからダイバーシティに取り組んでいる可能性がある。そこで「ダイバーシティが高い会社は業績がよい」と言い切ってしまうのは、因果関係が整理されていません。

 同じように、ガバナンスの問題に取り組んだからといって、急にROA(総資産利益率)が上がるということもそうはないですよね。業績がいいから、ガバナンスに取り組めるのかもしれない。

 だから内田先生の論文で、「育児休業は企業の業績にプラスに働く」というわかりやすい結果が出なかったのは、当然ありえると私は思います。だからこそ、外部性の存在を踏まえたうえで、男性の育児休業を推進する企業はどうすれば増えていくかという考察は、非常に面白いと思って拝読しました。

 研究者としては、「業績にプラスの効果がある」という結果が出ないと、よい学術誌に出しにくいという現実もあると思います。内田先生はガバナンス改革や、働き方改革など、これからも日本企業の課題を研究されることが多いのではないかと思います。そして、「それに取り組むことは企業の業績につながるんですか」と問いかけられることが、沢山あると思うんです。

 この問いに対して、内田先生はどのように答えられますか。

内田:まず、私自身もこの育児休業をテーマに研究を始める時に、男性の育児休業が業績にプラスに働くという結果を得るのはなかなか難しいだろうと思っていました。入山先生がおっしゃる通り、そう簡単に企業の業績が向上することはないと。男性の育児休業が業績に与えるという因果推論も遠いですし。そして研究を進めてみて実際にそのような結果は確認できませんでした。

 ただ、業績にプラスの影響がないことを確認するのは、それはそれで重要だと思うんです。業績へのプラスの影響というわかりやすいインセンティブがあれば、それを売り込めば勝手に普及します。けれども、もしそれが明確に確認できなければ、他の方法を考えなければ普及は期待できません。この意味で、業績に与える影響を確認することは、普及への第一歩になるんだと思います。

 この育児休業の普及をテーマにした論文は、ガバナンスの問題を広くとらえています。企業の自助努力や経営者の頑張りだけに頼るのには限界があるという議論を支持したいと考えていました。男性の育児休業を導入したからと言って、すぐに業績が高まるわけではない。では、インセンティブがない中でも広げていくには、どのような施策が必要なのか考えなければならない。それを社会に投げかけるというのが、本論文の1つの目的です。

入山:たしかに、目の前の業績をあげたいだけの企業側には、わかりやすいインセンティブが必要だけれども、それが難しいですよね。

内田:現在は取得する従業員側のみ経済的に恵まれた状況ですが、会社側にとっても経済的な意味で報われるようにしたり、社会の当たり前を塗り替えるために啓蒙したりすることが、さらなる普及のためには必要になってくると思います。

 論文の共著者の九州大学の浦川邦夫先生は、社会保障の研究者です。論文内では経営学とは異なる観点からの議論も含んでいます。男性の育児休業をどのように広げていくのか、この論文が考えるきっかけになるようなものになればいいなと思っています。

 そのような思いを持ちつつも、入山先生のご質問にあったように、「業績にプラスの効果がある」という結論が出なければ、私の理解では海外の学術誌に評価されません。実際にないことを証明しているわけではなくて、あることが証明できなかったにすぎないので。

 私は業績への影響を、しっかり検証することは大事だと思うんです。けれども、入山先生が挙げられたダイバーシティの事例のように、因果推論が遠いので、ガバナンスの研究ではそうそう思うような結論は出ないだろうなとは思います。実際に、ガバナンスの先行研究では、社外取締役が業績にプラスであるという明確な影響は確認できていなかったりします。

 いま多くのガバナンス分野の研究は、業績への影響を考察するよりも、もう一歩因果推論のレイヤーを下げ、たとえば「具体的な企業の意思決定にどのような影響を与えるのか」といった部分に焦点を当てることが多いです。ただ、それでもまだ因果推論が遠いという話はあります。

 他の一般的なガバナンスの問題でも、たとえば社外取締役に女性を入れたからといって、すぐに業績が上がるわけではないと言われれば、その通りです。けれども、そこで「業績が上がるわけではない」と結論付けるのではなく、より具体的な行動に注目して、効果を見ていく必要があると思っています。