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現場の労働者をヒーロー扱いすることは正しいのか
誰だってヒーローが大好きだ。エンジンが停止した旅客機をニューヨークのハドソン川に緊急着水させることに成功したパイロットにせよ、第2次世界大戦中に米国民の戦意高揚に寄与した架空のキャラクター「リベット打ちのロージー」にせよ、ヒーローはいくらいても多すぎることはない。
雇用主も人々のこのような心理に乗じて、呼び出せばいつでも現場に駆けつける配管工に始まり、田舎で一次診療を担う家庭医や、顧客サービスの担当者、小売店の店員、さらには人道援助機関の職員に至るまで、まさにありとあらゆる人たちをヒーローとして称賛するようになった。新しいところでは、ナイキが新たに打ち出したシューズのシリーズでターゲットにしたのも、そう、「日々のヒーローたち」だった。
新型コロナウイルスが最も猛威を振るっていた時期にも、雇用主は同様の表現を用いて、旧来型のフルタイム労働者──最前線で働く医療従事者、バスの運転手、スーパーマーケットのレジ係など──を称えた。自宅の外に出ただけでも恐ろしいウイルスに感染するリスクがあった日々に、自動車で乗客を輸送したり、料理を宅配したり、食料品の買い物を代行したりするギグワーカーたちが突如として、ヒーローとして持ち上げられるようになったのだ。時には、医療従事者たちと肩を並べるような評価をされることもあった。
食料品の買い物代行と配達を行うインスタカートは2020年、「家庭のヒーローたち」と銘打ったマーケティングキャンペーンを開始し、30万人の「ショッパー」(同社のプラットフォームで買い物代行を行う働き手)を確保しようした。この時期、コロナ禍で同社のサービスへの需要が爆発的に増加したためだ。たとえば、同社がソーシャルメディアで行った広告の一つでは、「すべてのヒーローがマントを身にまとっているわけではない」として、顧客のためにスーパーマーケットの棚でチーズを探す人たちのことをヒーローと位置づけた。
一見すると、インスタカートが「ヒーロー」をめぐる言説を強化・拡散し、自社で働くエッセンシャルワーカーたちの仕事を道徳的なものと位置づけようとするのは、ビジネス上の活動として理にかなったものだと思えるかもしれない。たしかに、ギグワーカーたちは、顧客から過小評価されたり、無視されたりすることが多いので、そのような人たちを称賛することにより、仕事へのコミットメントとモチベーションを高められるかもしれない。しかし、その一方で見落とせないのは、ほとんどのギグワーカーがフリーランスとして働いており、物質的な側面の労働条件が極めて不安定だということだ。所得が比較的少なく、労働者としての保護もほとんど受けられず、福利厚生も乏しい。
では、ギグワーカーたちは、自分がヒーローと位置づけられることにどのような反応を示すのだろうか。筆者らが行った研究でわかったのは、ギグワーカーたちがしばしば、この「ヒーロー」という呼称に対して予想外の反応を示すということだ。その点を踏まえると、人々がヒーローに対して抱く尊崇の感情を利用しようとする企業の試みは、裏目に出るリスクがついて回るといえる。
筆者らが最近発表した研究では、ギグワーカーが自分たちの仕事が突然、称えられるようになった際にどう反応したかを調べた。2020年半ばのパンデミック真っただ中にインスタカートで働く人々にインタビューを行い、「ヒーロー」と称えるキャンペーンがひと段落した半年後に、再度インタビューを実施した。これらのインタビュー、ソーシャルメディアの投稿、同社の資料から、筆者らはギグワーカーがヒーローと称えられることに対し、3つの異なる反応があることがわかった。つまり、「歓迎派」「拒絶派」「苦悩派」に分かれたのだ。
「歓迎派」は、ヒーローの称号をすぐ受け入れて、自分の仕事をその呼称にふさわしいものと考える
ヒーローの呼称を歓迎する働き手たちは、顧客のためにさらなる努力を払おうとしない。通常の職務上の義務を果たし、コロナ感染のリスクを負って行動しているだけでも、自分が道徳的に評価されてしかるべきだと考えるからだ。このタイプの働き手たちは、顧客が買い物代行サービスを利用することは当然の選択だと思っていて、チップやお礼のメッセージを受け取ることを通じて、自分がヒーローであるという認識をいっそう強めていく。