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ESGの解体が次の進展につながる
2023年夏、あるビジネスの際立った潮流が唐突に衝撃的な終焉を迎えたかに見えた。当時で運用資産9兆ドルを超える世界最大の資産運用会社ブラックロックのCEOであるラリー・フィンクが、もはや「ESG」という用語を使って同社の投資アプローチを語ることはないと発言したのである。この20年間で、ESG(環境、社会、ガバナンス)の実績への関心は高まった。だが一方で、米国では「ウォーク」(Woke:環境や社会問題に対する意識の高さを揶揄する言葉)投資への反発が加速している。それが、この決定的打撃と思えるような発言をもたらしたのだろう。
長年、ブラックロックはその規模とフィンクのずば抜けた発言力によって、将来のビジネス潮流の仕掛け人と見なされてきた。もしブラックロックがESGを放棄するのなら、ESG活動も自然と収束するのだろうか。すでに「ESGのピーク」に達したのだろうか。
筆者らはビジネススクールの教授として、長年、ビジネスと社会の関係を研究してきた。現在ESGと呼ばれているテーマの一部が、CSR(企業の社会的責任)や企業のサステナビリティ、社会的責任投資(SRI)などと呼ばれていた時期もある。
もとをたどれば、まさしく需要と供給の物語であった。需要は、年金基金やその他の組織を含む機関投資家や個人投資家から生まれた。こうした投資家は、社会に大きな代償(たとえば重大な環境汚染)を支払わせている企業や、商品の負の影響(喫煙や拳銃など)を著しく社会に表出させている企業の株を回避しようとしていた。あるいは、そうした企業に対して株主提案やその他の戦術によって変革を促すべく圧力をかけようとしていた。供給サイドは、二酸化炭素排出量や商品の安全性、コーポレートガバナンスなどのESGの問題を測定し、開示し、改善しようと努めた企業である。そして両者の間に、ESG格付けやデューディリジェンスの提供と活用によって、需要と供給の間を取り持つ一連の金融仲介機関が登場した。
長年、個人や地域社会、宗教団体、非営利団体、政府は、企業が社会の期待に沿う行動を取るよう圧力をかけてきたが、運動が本格化したのは2000年代初頭だった。2004年に発表されてから大きな影響力を有してきた国連報告書「思いやりのある者が勝利する」(Who Cares Wins)によってさらに勢いづいた。ESG活動の中核にある考え方は、「企業のリーダーが事業にとって重要な環境、社会、ガバナンスの要素、すなわち株価に影響するような企業の競争力や評判にまつわる要素に対処すれば、業績の向上につながる」というものだった。
なぜE(環境)、S(社会)、G(ガバナンス)という概念を同等の重みがある(かのような)ものとして、一くくりにすることが適切なのか、あるいはこの3つがどのようにつながるのかが明確にされたことはなかった。その後20年間でESG活動が主流になる中、この3つの不自然な組み合わせが後にESG活動の進展を妨げる要因となった。
この20年間では、インパクト投資の台頭もあった。インパクトファンドは、たとえ市場水準より利益が低くても社会的インパクトをもたらすベンチャー企業に投資しようとした。この「インパクトエコノミー」はESGとともに成長したが、二者の間の境界線は次第に曖昧になり、MBAコースの新入生の多くが、正しいことを行えば利益は必ず最大化されると期待するまでに至った。
一方、ESGをめぐっては、重要性についての議論が盛んになった。最近の米国証券取引委員会(SEC)規則では、「理性的な投資家」がある株を「買うか売るかを決める時」の判断材料とするために、企業は気候変動が自社の業績予測に及ぼすインパクトを開示することを求めている。より新しい「二重の重要性」の概念は、財務面の重要性(企業のE、S、Gが株価に及ぼすインパクト)に留まらず、社会に及ぼすインパクト面の重要性(企業の活動や商品がステークホルダーと一般社会に及ぼすインパクト)にまで範囲を拡大している。