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人生最後の日に「もっと会議に時間を費やせばよかった」と思う人はいるだろうか
「私が眠るのは死ぬ時だ」(I'll sleep when I'm dead.)
恥ずかしながら筆者はこのフレーズを何回も使ってきた。締め切りが迫って午前2時まで仕事をすることや、あと1通だけメールを送ること、「時間がない」から食事を抜くことを正当化するために。
しかし、これは笑えないジョークであることを、筆者は身をもって知った。2024年のマーサー・グローバル・タレント・トレンド・レポートのデータも同様のことを指摘している。1万2000人以上を対象とするグローバル規模の調査は、労働力の82%がバーンアウト(燃え尽き症候群)のリスクにさらされていること、その主な原因として過剰な業務量、疲労、経済的負担を挙げている。
これは、簡潔にいえば「有害な生産性」だ。その本質は常に生産的でなければならないという不健全な強迫観念であり、私たちの心と体のウェルビーイング、人間関係、生活の質全体が犠牲になることも少なくない。そうした感情は、常に生産性が高いことが期待されているとは言わないまでも、称賛されがちな現代の職場文化では普通のことだ。ただし、この考え方は有害というだけではない。危険でもあるのだ。
有害な生産性の根源を理解する
有害な生産性は多面的であり、心理的および社会的要因が複雑に入り混じったところから生じる。生産性の基準は、過酷な労働を美徳とし、休息を怠惰と同一視する環境で育ってきた私たちの心理に深く根づいている。この考え方は、個人としての価値がその人の業績に結びついていると感じるような、完璧主義を推奨する文化によってさらに強化される。
ソーシャルメディアは絶え間ない競争意識を助長することによって、有害な生産性のプレッシャーをさらに高める。研究によると、みずからをより優れた他者と比較する上方の社会的比較は、自尊心の低さや鬱と関連があり、特に女性に否定的な影響を及ぼす。不安や自尊心の低さに対処するメカニズムとして表れるワーカホリック(仕事中毒)は、「忙しさ」を利用して、否定的な思考や感情から気をそらそうとするものでもある。
新型コロナウイルスのパンデミックは、こうした傾向をさらに悪化させた。多くの人が不確かな時代にコントロール感と目的意識を維持する方法として、仕事を利用したのだ。
危機の中盤で国内総生産(GDP)が急激に落ち込み、時代遅れの労働生産性指標は、経済が下降スパイラルに陥っているという非合理的な不安を助長した。世界が大規模な健康危機に瀕しており、いまは通常とは違うのだという認識が欠けたまま、パンデミック前の水準のGDPを目指そうという動きが加速した。