ビジョナリー・カンパニーにドラッカーの“指紋”を見つける

編集部(以下色文字):ピーター・ドラッカーのことはどのようにして知りましたか。

PHOTOGRAPHER GEORGE LANGE

コリンズ(以下略):私が最初にピーターを知ったのは、ジェリー・ポラスとの共著である『ビジョナリー・カンパニー[注1]』のためのリサーチをしている時でした。ビジョナリー・カンパニーの成長の歴史を遡って調べていると、あらゆるところにピーターの“指紋”があったのです。たとえばHPの創業者のデイビッド・パッカードは1960年代にピーター・ドラッカーからいかに影響を受けたかを語っています。資料からはゼネラル・エレクトリック(GE)やメルクにも彼の影響が読み取れました。

 これはピーターの著作を読まなければと思い、彼の本を出版順に読み始めました。彼の最初の著作は『「経済人」の終わり[注2]』です。第2次世界大戦の頃の世界に対する社会経済学的な洞察が記されており、英首相ウィンストン・チャーチルが必読書に指定したという話があります。1946年出版の『企業とは何か[注3]』は、ゼネラルモーターズ(GM)を深掘りする中で現代の企業とは何かについて考察しており、その考察は現代における企業形成の土台になりました。

 本のタイトルがなかなか決まらなかった際に、半ばやけになって、「もうタイトルは『全部ドラッカーが正しかった』でいいよね」と共著者のジェリーと言い合ったくらい、私たちが『ビジョナリー・カンパニー』のリサーチを通じて見出したことは、すべてピーターが予見していたか、道をつくっていたのです。ピーターの問いの壮大さは驚くべきものでした。彼はその思考と叡智ではるか先を歩いていた人でした。

人生を変えたドラッカーとの一日

 そして、実際にドラッカーにお会いになりましたね。

 実際にピーターに会い、ともに時間を過ごしたのはたったの一日です。でもその後の私の人生を決定づけた、とても大切な一日となりました。

 私の知り合いがピーターにインタビューをして記事を書いたと聞き、彼に紹介を頼みました。するとある日、ちょうど私がシアトル空港にいた時に、ピーターから電話がかかってきたのです。電話越しのピーターに、「もっと大きな声でしゃべってくれ。もう私は若くないんだよ」と大声で言われたのをよく覚えています。そこで会う約束をして、1994年12月10日、クレアモントにある彼の自宅を訪れました。私は36歳、彼は86歳(編集部注:正確には85歳)でした。

 とても質素な佇まいの家でした。ピーターが出てきて、両手で私の手をしっかり握ってこう言いました。「コリンズさん、お会いできて嬉しいです。どうぞ中に」と。そして、居間に通され、籐椅子に座りました。それは、これまで各国の首相や企業経営者らも座ってピーターと会話をしてきた椅子です。私はピーターに会うに当たり綿密な準備をして彼に山のような質問を用意していましたが、逆に彼は私に質問をして意見を聞きたがったので、長時間の会話となりました。彼は、それだけの時間をその日、私に投資してくれたのです。

 私は当時、言わば人生の岐路に立っていました。『ビジョナリー・カンパニー』は世に出たばかり。そして、伝統的なアカデミアの世界に身を置いて研究者として生きていくのではなく、ピーターのように自分なりの道を切り拓きたいと思いながらも、それでやっていけるのか、不安や迷いもありました。