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マネジャーはリーダーでなくともよい
有能な経営者は、今日最も一般的に使われている意味での「リーダー」である必要はない。たとえば、ハリー・トルーマンにはカリスマ性のかけらもなかった。しかし、米国の歴史上、屈指の最高責任者だった。同様に、65年にわたる私のコンサルティング人生の中で出会った企業や非営利団体の一流CEOの中には、いわゆる典型的なリーダーとはいえない人たちが少なからず存在した。
彼らの性格や態度、価値観、長所や短所は千差万別である。外向的な性格から隠遁者のような性格、のんびりした性格から支配的な性格、出し惜しみしない気前のよい性格から金銭に細かい性格といった具合に、実にさまざまであった。
とはいえ、彼らが揃って有能な経営者であったのは、次の8つの習慣を実践していたからに他ならない。
(1)「何をしなければならないか」と自問自答していた。
(2)「この企業にとって正しいことは何か」と自問自答していた。
(3)アクションプランを、きちんと策定していた。
(4)意思決定に対して、責任をまっとうしていた。
(5)コミュニケーションへの責任をまっとうしていた。
(6)問題ではなく、チャンスに焦点を当てていた。
(7)会議を生産的に進行させていた。
(8)「私」ではなく「我々」として、発言したり考えたりしていた。
最初の2つを怠らなかったため、必要不可欠な知識がもたらされた。次の4つは、その知識を効果的な行動へ転化するうえで有効だった。そして最後の2つは、組織全体に責任感を植えつける役割を果たしていた。
必要不可欠な知識を獲得する
最初の習慣は「何をしなければならないのか」をおのれに問うことである。ただし、「自分が何をしたいのか」を考えるのではない。何をしなければならないか自問して、真剣に自答することが、マネジメントを成功の域に至らせるカギとなる。この自問自答を怠ると、いかに有能であってもその力を発揮できない。
トルーマンは1945年に大統領に就任した時、自分が何をしたいのかはよくわかっていた。彼が望んだのは、第2次世界大戦のために延期されていたフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策に着手し、社会経済改革を成し遂げることであった。
しかしトルーマンは、何をしなければならないかをみずからに問うた。外交問題が絶対的な優先課題であることを悟ったトルーマンは、さっそく一日の仕事を、国務長官と国防長官による外交問題のレクチャーから始まるよう、綿密にスケジュールを組んだ。
その結果、トルーマンは米国史上最も外交問題に長けた大統領となった。欧州とアジアの両地域において共産主義の拡大を防ぎ、マーシャルプランによってその後50年間にわたる世界的な経済成長のきっかけをつくったのである。
ジャック・ウェルチもまた、CEOに就任した時、ゼネラル・エレクトリック(GE)に求められていることは、自分がやりたかった海外への展開ではなく、高収益を挙げながらも業界のナンバーワンあるいはナンバーツーになりえない事業を処分することだと承知していた。
「何をしなければならないか」という問いへの答えには、まず緊急課題が複数含まれている。ただし有能な経営者は、これらすべてに手を出したりはしない。彼らは、可能な限り一つの仕事に集中する。
一日の仕事のさなかに気分転換することで最大限の力を出せるタイプの人間──少数派とはいえ、かなりの数に上る──ならば、2つの仕事を取り上げる。しかし私は、一度に3つ以上の仕事に取り組んで、なおかつ能力を遺憾なく発揮できる経営者にお目にかかったことがない。
それゆえ有能な経営者は、何をしなければならないのかを問うた後、優先順位を決め、一貫してこれを守る。
CEOにとっての優先課題は、企業の使命を再検討することかもしれない。部門長にとっての優先課題は、自部門と本社との関係を再検討することかもしれない。その他の仕事は、どれほど重要であろうと、また関心をそそるものであろうと、後回しにする。
さて、第1の最優先課題をやり遂げた後に、そのまま2番目の優先課題に移るわけではない。優先順位を再考し、「いま何をしなければならないのか」、いま一度自問するのだ。それが、新たな優先順位へとつながる。
ここで再び、米国で最もよく知られているCEO、ジャック・ウェルチを取り上げよう。その自伝によれば、ウェルチは5年ごとに「いま何をしなければならないのか」と自問自答し、そのたびに別の新たな優先順位が浮かんだという。
しかし、次の5年間に集中的に努力すべき領域を決める前に、ウェルチが徹底的に検討していた点が、もう一つある。彼は、優先課題として挙げられた仕事の中で、自分に最も向いている仕事はどれかについて考えた。そして、その仕事に集中し、残りは他人に任せたのである。
有能な経営者は、自分が一番得意とする仕事に集中する。彼らは、トップマネジメントが業績を高めない限り、企業の業績も上向くことはないと知っている。
有能な経営者の2番目の習慣は、この意思決定や行動は「当社にとって正しいことなのか」を問うことだ。これも、第1の習慣に劣らず重要である。
有能な経営者は、株主や株価、社員、そして経営陣にとって正しいかどうかを考えたりはしないのだ。ただしもちろん、ある施策が功を奏するには、株主や従業員、経営陣の動きがカギを握っており、彼らの支持や少なくとも了解が必要であることはきちんと心得ている。
また、資本コストはPER(株価収益率)によって決まるため、株価は株主だけではなく、企業にも大きな影響を与えることを理解している。しかし同時に、企業にとって正しくない決定は、どの株主にとっても正しくないものになることも承知している。
この2番目の習慣は、どこの国でも産業界の大部分を占める同族所有や同族経営の企業経営者においてとりわけ重要であり、なかでも人事に関する決定には欠かせない。高い業績を挙げている同族会社の場合、親族の昇進は、同じ職位の社員よりも優秀であることがはっきりしている場合に限って認めている。
たとえばデュポンでは、同族会社として経営されていた175年間、監査役と弁護士を除くトップマネジメントはすべてデュポン一族だった。また、創業者の血を引く男子ならば、誰でも新入社員として入社できた。
ただし、さらに上の地位へは、一族出身者以外のマネジャーが大半を占める審査委員会によって、同じ職位のどの社員よりも能力と業績の両面で優れていると認められなければ昇進は叶わなかった。
これと同じルールは、英国の外食業界に君臨した同族会社、J. ライオンズ・アンド・カンパニー(現在は大手コングロマリットの傘下にある)においても、1世紀にわたって遵守されていた。
「当社にとって何が正しいのか」と問うたからといって、必ずしも正しい意思決定が下されるというわけではない。いかに才能に恵まれた経営者もしょせん人間であり、間違いを犯したり、偏見にとらわれたりすることはある。それでも、この問いかけを怠れば、まず例外なく間違った決定が導かれることだろう。
アクションプランを作成する
経営者は実践者である。彼らは実行する。彼らにとって知識とは、現実の行動へと姿を変えない限り、無用の長物である。
ただし、行動する前には、自分が進むべき針路を計画しなければならない。望むべき成果、予想される制約事項、将来における軌道修正、チェックを入れるタイミング、時間の使い方について考える必要があるのだ。
経営者はまず、望むべき成果を具体化しなければならない。「今後1年半から2年の間に、私はどのような貢献が期待されているのだろうか。私は、どのような成果を目指して努力すべきなのか。また、期限はいつまでか」と問いかけるのだ。
次に、足かせになりそうな制約事項について検討する。ここでは「この行動指針は、倫理にかなっているか。組織内で受け入れられるのか。合法的か。組織の使命、価値観、経営方針に矛盾しないだろうか」を考える。
答えがイエスでも、しかるべき成果につながるとは限らない。しかし、これらの問いへの答えがノーであれば、間違った行動が導かれるばかりか、何の成果も得られないことは目に見えている。
アクションプランは、公約というよりは、意図するところの表明である。ただし、それにがんじがらめに縛られてはならない。むしろ頻繁に再検討したほうがよい。一つの成功から必ず新たな機会が生まれるからだ。これは、いかなる失敗にも当てはまる。
同じことが、事業環境の変化、市場の変化、そして特に企業内の人々の変化についていえる。このような変化はどれも、計画の見直しを迫る。したがって、計画書を作成する場合、柔軟な対応が必要になることを見越しておくべきだろう。
さらに、アクションプランでは、成果を期待と照らし合わせてチェックする仕組みを設けておく必要がある。有能な経営者はたいてい、そのアクションプランに2つのチェックポイントを設定している。最初のチェックは計画期間の半ば、たとえば9カ月目に行われる。そして2回目のチェックは、計画期間の終わり頃、次のアクションプランを策定する前になる。
最後に、アクションプランは経営者の時間管理の土台となるべきである。時間は、経営者の最も稀少かつ貴重な資源である。政府機関であろうと、企業や非営利団体であろうと、組織というものは本質的に時間を浪費する。経営者が自分の時間配分を決められないようでは、アクションプランは画餅にすぎない。
ナポレオン・ボナパルトは、計画通りに進んで勝利を収めた戦闘など存在しないと語ったという。しかしナポレオンは、歴代のどの将軍よりも入念に計画を立てていた。
アクションプランがなければ、経営者はさまざまな事柄に振り回されてしまう。また、物事の展開に従って計画を見直すチェックポイントを設定していなければ、何が本当に重要で、何がそうでないのか、知りようがないのである。
行動する
計画を行動に移す段階で特に注意を払わなければならないのは、「意思決定」「コミュニケーション」、問題ではなく「チャンス」、そして「会議」である。ここでは、一つずつ見ていくことにしよう。
〔1〕意思決定に責任を負う
決定を下す前に、まず以下の点について理解しておく必要がある。
・実行責任者の名前
・期限
・その意思決定によって何らかの影響を受ける人々の名前(彼らには決定内容をよく理解し、受け入れてもらう必要がある。少なくとも強く反対されないようにしなければならない)
・直接の影響を受けるわけではないが、その意思決定について知らせておくべき人々の名前
このような基本をなおざりにした結果、組織的な意思決定が難航してしまったという例は驚くほど多い。
30年前のことだが、私のあるクライアントは、当時急成長を遂げていた日本市場におけるリーダーシップを失ってしまった。
その原因は、新しいパートナーである日本企業とのジョイントベンチャーが決まった後、購買担当者への連絡役をはっきりさせなかったことにあった。パートナーが仕様書の単位をフィートとポンドではなく、メートルとキログラムに設定してしまっていたのだが、誰もその情報を伝えなかったのである。
あらかじめ取り決めておいた時点で決定を定期的に見直すことは、最初に慎重な決定を下すことと等しく重要である。そうすれば、不適切な決定であろうと、本当のダメージを被る前に修正できる。このような見直しは、意思決定がもたらす成果をはじめ、根本的な前提に至るまで適用できる。
また、何より重要であり、しかも厄介な意思決定、すなわち人材の雇用と昇進に関する意思決定にも見直しは欠かせない。
人事上の意思決定に関する研究によれば、人材の選択において本当にうまくいくのはわずか3分の1であるという。残りの3分の1はえてして、引き分け──成功でもなければまったくの失敗でもない──に終わる。最後の3分の1は紛れもない失敗である。
有能な経営者は、このことをよく理解している。だから人事上の意思決定の成果は、6~9カ月後に詳しくチェックする。
仮に望むような成果が得られていないとわかっても、問題の人物の仕事ぶりが不十分だったと結論づけたりはしない。彼らは、自分自身こそ間違いを犯したと判断する。経営が順調な企業では、新しい仕事、とりわけ昇進後の新しい仕事で失敗した人々が必ずしも責めを負うべきではないという考えが受け入れられている。
経営者はまた、重要な仕事を任されているにもかかわらず、いかんせん成果を挙げられない人をけっして黙認してはならない。これは社員や組織への義務である。
十分な仕事ぶりを発揮できないことは、その社員個人の落ち度ではないかもしれない。しかし、それでもその仕事から外さなければならない。ただしその際、新たな仕事で失敗した人には、前と同じ地位と給与で前の仕事に戻るという選択肢を与えるべきである。
残念ながら、この選択肢が実際に採用されることはめったにない。このような失敗した人々は、少なくとも米国企業の場合、たいてい自発的に退職してしまう。
しかし、この選択肢の存在そのものが、安全で居心地のよい仕事を離れて、リスクの高い新たな仕事に取り組む意欲をかき立てる。組織の業績は、そのようなチャンスに賭ける社員の意気込みによって決まるものだ。
定期的な見直しは、自己啓発の実効的手段としても用いることができる。意思決定の成果を当初の期待と照らし合わせることで、自分の強みやそれを伸ばすべき領域、知識や情報が足りない領域が明らかになる。また、どのような先入観を抱いているかもわかる。
自分が下した意思決定が成果につながらなかったのは、その仕事に適材を配置しなかったという事実が判明する場合も多い。最高の人材を最適の場所に配置することは重要ながらも難しい仕事である。しかし、最高の人材はすでに超多忙なために、多くの経営者はこの大事な仕事を脇に追いやってしまうのだ。
意思決定を計画的に見直すことで、経営者は自分自身の弱み、とりわけ自分の能力が足りない領域について把握することができる。賢い経営者は、不得手な領域において意思決定を下したり行動を起こしたりせず、誰か別の人に任せる。誰にでも、このような不得意領域はある。万能の天才などいない。
意思決定に関する議論では、それとなくではあるにしても、最終的に判断を下すのは経営陣だけと思われていたり、重要なのは経営陣の決定だけだと思われたりしているようだ。
これは危険な誤りである。意思決定という行為は、専門職として組織に貢献している者やラインマネジャーをはじめ、組織のあらゆるレベルで見られるものだ。知識集約型の組織では、このような一見低いレベルの意思決定が極めて重要となる。
知識労働者は、自分の専門分野、たとえば税務会計については、社内の誰よりも詳しく知っているはずである。したがって彼らの意思決定は、組織全体に影響を及ぼしかねないのだ。
優れた意思決定を下す能力は、どのレベルにおいても欠かせない。知識集約型の組織では、このことを全員に理解させることが不可欠である。
〔2〕コミュニケーションに責任を負う
有能な経営者は、自分が立てたアクションプランや必要としている情報について周知徹底を図る。具体的には、自分の計画を上司や部下、同僚を含め、一緒に働く人たち全員に説明し、意見を求めるということである。同時に、その仕事をやり遂げるために入手しなければならない情報に関して、各人に理解してもらうように努める。
部下から上司への情報の流れには誰もが注意を払う。しかし経営者は、同僚や上司から得られる情報の必要性についても、等しく注意を向けなければならない。
我々は皆、チェスター・バーナードが1938年に記した名著『経営者の役割[注]』のおかげで、組織を一つに束ねているのはオーナーシップや命令ではなく、情報であることを知っている。
それでいながら、あまりにも多くの経営者が、情報やその流れは情報の専門家、たとえば会計士などの仕事であるかのような態度を取る。その結果、必要でもなければ、使いこなすこともできない膨大なデータが収集され、本当に必要な情報はわずかしか得られない。
この問題を回避する最善の方法は、経営者が必要な情報を洗い出し、その情報を求め、手に入れるまで粘り強く諦めないことである。
〔3〕チャンスに焦点を当てる
優れた経営者は、問題ではなくチャンスに焦点を当てる。もちろん、問題に対応することも必要だ。うやむやにしてしまうわけにはいかない。ただし問題の決着はいかに必要であろうと、成果を生むことはない。ダメージを防ぐだけである。チャンスを利用してこそ成果が生まれる。
特に、有能な経営者は変化を脅威ではなくチャンスと見る。変化を社内外にわたって体系的に観察し、「どうすれば、この変化をチャンスとして利用できるのか」と問いかけるのだ。具体的には、次の7つの状況にチャンスが潜んでいないかどうか、入念に調べる。
・自社や競合他社、あるいは業界内における予期せぬ成功や失敗
・現在の生産方式、商品やサービス、市場と、それらの可能性の間にあるギャップ(たとえば、19世紀の製紙業では、一本の木のうち、木材パルプになる10%の部分だけに関心を寄せ、残りの90%の可能性は完全に無視して、廃棄していた)
・自社や業界の内外を問わず、生産方式、商品やサービスにおけるイノベーション
・産業構造や市場構造における変化
・人口統計
・考え方や価値観、認識、社会のトレンド、意義などの変化
・新たな知識や技術
有能な経営者はまた、問題がチャンスを押し潰してしまわないように注意する。
ほとんどの企業では、月次報告書の1ページ目に主要な問題点が書き連ねられている。むしろ、ここにはチャンスを書き出し、問題は次のページで取り上げたほうが賢明といえる。よほどの大問題が発生していない限り、経営会議では、チャンスを分析し、適切な対策を立てた後で、問題について議論するのがよい。
人員配置も、チャンスに注力するうえでは重要な要素である。有能な経営者はやはり、問題にではなくチャンスに最高の人材を投入する。
チャンスを活かすような人員配置としては、半年に一度、経営陣全員に2つのリストを作成させるのも一つの方法である。一つのリストには企業全体のチャンスを、もう一つには社内で最も成果を挙げている人々の名を列挙する。
各自が作成したリストを持ち寄って検討し、最終的にこれら2つのリストにまとめれば、最高の人材と最高のチャンスの組み合わせが一目でわかる。なお、日本の大企業や行政部門では、この組み合わせ手法は重要な人事業務に数えられており、日本企業の強みの一つになっている。
〔4〕会議を生産的に進行する
第2次世界大戦中から終戦後の米国で、誰よりも有名で、誰よりも強大な力を誇り、そしておそらく最も有能だった市井の経営者は企業家ではない。ローマカトリック教会のニューヨーク大司教であり、歴代大統領の顧問役も務めたフランシス・スペルマン枢機卿である。
スペルマンが前任者から引き継いだ時、ニューヨーク大司教区は破産状態にあり、弱体化しきっていた。しかし、スペルマンの後継者の代には、米国カトリック教会で指導的地位を占めるまでになっていた。
スペルマンはよく、起きている時間のうち一人になれるのはたった2回、それも25分ずつだと語っていた。起床後、彼専用のチャペルでミサを執り行う時間と、寝る前の祈りの時間である。それ以外の時間は常に会議に参加していた。カトリック団体との朝食に始まり、別の団体とのディナーで終わるといった具合である。
トップマネジメントは、このニューヨーク大司教ほど身動きが取れない状態にあるわけではない。しかし、マネジャー全般の労働時間に関するどの調査からも、たとえジュニアマネジャーや専門職も、他の人と一緒に過ごす、つまり何らかの会議に出席している時間は一日の労働時間の半分を超えていることがわかっている。唯一の例外は、一握りの上席研究者である。
相手が一人でも会議である。したがって有能な経営者であるには、会議の生産性を高めなければならない。もちろん会議は、雑談の場ではなく、仕事の場でなければならない。
会議を実効的に運営する秘訣は、どのような会議にするのか、あらかじめ決めておくことである。会議のタイプが異なれば、必要な準備も成果も違ってくる。
・声明、発表またはプレスリリースを作成するための会議
この種の会議の生産性を高めるには、誰かが前もって草稿を準備しておく必要がある。会議の終了時においては、事前に決めておいたメンバーが最終稿の配付に責任を負わなければならない。
・組織改編など、何らかの発表に備えるための会議
発表とそれに関する議論だけに絞った会議にすべきである。
・誰かが報告を発表する会議
議論の対象は、その報告に限定しなければならない。
・数人または全員が報告する会議
ここでも議論はまったくなされないか、疑問点を明確にするための質問に留めるべきである。あるいは、報告ごとに議論の時間を少し設け、時間内ならば誰でも質問を認めることにしてもよいだろう。その場合、内容をまとめた報告書をあらかじめ出席者全員に渡しておく必要がある。この種の会議では、各報告は前もって決めた時間、たとえば15分程度に限定しなければならない。
・主催者に情報を伝えるための会議
会議を主催する経営者は、話に耳を傾け、質問しなければならない。最後に話をまとめる必要はあるが、意見を披瀝し合うことは控えるべきだ。
・出席者が経営者に会う場を提供することが唯一の目的である会議
スペルマン枢機卿の朝食や夕食を兼ねた会議は、このタイプのものだった。このような会議は何をしても生産的にはならない。高い地位に不可避な代償である。経営陣は、この種の会議で一日が潰れないような対策を講じてこそ能力を発揮できる。たとえばスペルマンが有能だったのはもっぱら、その手の会議は朝食時と夕食時だけに限って、一日の仕事には入れなかったからである。
会議の生産性を高めるには、それ相応の自制が要求される。経営者は、どのタイプの会議が適切なのかを決め、いったん決めたならば、そのやり方を貫かなければならない。
また、当初の目的が達成され次第、会議を解散することも大切である。優れた経営者は、別の問題を新たに俎上に乗せることはしない。会議を概括したら解散を告げる。
十分なフォローアップも、会議そのものに劣らず重要である。私が知っている最も有能な経営者、アルフレッド・スローン・ジュニアはこれの達人だった。
スローンは1920年代から50年代までゼネラルモーターズ(GM)を指揮したが、その執務時間の大部分を会議に費やしていた。週6日仕事をすれば、3日間は決まったメンバーとの公式な委員会、残りの3日間は各事業部長や数人の経営者との個別会議に出席していたという具合だった。
定例会議の冒頭、スローンは会議の目的を宣言する。そして、耳を傾ける。メモはけっして取ることなく、発言もめったにしない。口を開くのは、わかりにくい点をはっきりさせる時くらいだった。最後に内容をまとめ、出席者にあいさつして、その場を離れる。
それからすぐに出席者の一人に宛てて、議論とその結論を要約する短いメモを書いた。会議の席で決まった課題があれば、同じテーマあるいは問題を調査するために再度会議を開くことも含め、メモに詳細に書き留めた。さらに最終期限と、その仕事を担当するマネジャーについて明記し、メモのコピーを会議の出席者全員に送った。
このようなメモ──その一つひとつが名文だった──を経て、スローンは稀に見る有能な経営者へと成長したのである。
有能な経営者は、会議を生産的にできるか、まったくの時間の無駄になるかのどちらか一方であることを十分心得ているものだ。
「私」ではなく
「我々」の立場で考え発言する
最後に取り上げる習慣は、「私」ではなく「我々」として考え、発言するということである。有能な経営者は、最終責任は自分が負うことをわきまえている。そしてこの種の責任は、他人と連帯することも、委任することもできない。
そのための権限が与えられているのは、組織の信頼を得ているからにすぎない。言い換えれば、自分のニーズやチャンスを考える前に、組織のニーズとチャンスを考えなければならないということである。簡単なことのように聞こえるかもしれないが、実際はそうではない。しかし、極めて厳格に守られる必要がある。
* * *
本稿では、有能な経営者の8つの習慣について検討してきた。最後に、おまけを一つ、紹介したい。これも大変重要なことであり、一つの法則として格上げしたい。
「まず耳を傾けよ。口を開くのは最後である」("Listen first, speak last.")
有能な経営者は、その人格、強みや弱み、価値観、信念において実に千差万別である。その唯一の共通点は、正しいことをやり遂げているということである。生まれつき有能な人もいる。しかし、求められていることはあまりにも大きく、並外れた才能だけで満たすことは無理である。
有能さとは修練の賜物である。そして、いかなる修練もそうであるように、有能さは学習することができるものであり、必ず身につけなければならないものなのだ。
【注】
Chester Irving Barnard, The Functions of Executive, Harvard University Press, 1938.(邦訳『経営者の役割』ダイヤモンド社、1968年)
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https://dhbr.diamond.jp/articles/-/12952
林 宏子/訳
(HBR 2004年6月号より、DHBR 2025年12月号より)
What Makes an Effective Executive
(C)2004 Harvard Business School Publishing Corporation.
Photo Diamond, Inc.
ピーター F. ドラッカー(Peter F. Drucker)
1909年、ウィーンに生まれ、フランクフルト大学卒業後、経済記者、論説委員として働きながら、国際公法の博士号を取得。1933年に発表した論文がナチスドイツの不興を買い、ロンドンへ移住。保険会社のエコノミスト、投資銀行のパートナー補佐などを経験したのちに渡米。1939年、ファシズムの起源を分析した『「経済人」の終わり』を刊行。1943年、ゼネラルモーターズ(GM)より同社のマネジメントに関する研究を依頼され、これは1946年に上梓された『会社という概念』に結実している。1950年ニューヨーク大学教授に就任。1954年『現代の経営』を発表。1971年クレアモント大学院大学の教授に就任した。産業界に最も影響力の大きい経営思想家として知られ、「分権化」「目標管理」「知識労働者」など、数々のコンセプトと手法を発案してきた。邦訳されたものだけでも『断絶の時代』『ポスト資本主義社会』『ネクスト・ソサエティ』(いずれもダイヤモンド社刊)など、優に30冊を超える著書を発表した。2005年11月、95歳で死去。



