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歴史に名を残すはずの実業家が脱落してしまうのはなぜか
数年前、投資銀行・証券会社の団体に招かれて経営をテーマに講演をしたことがある。何を話すか材料を集めているうちに、私はある重大なことに気づいた。どんな事業でも成功のカギは、自ら経営に携わる確固たる意思にある、ということだ。
そこで私は早速、主な投資銀行や証券会社でパートナーと呼ばれる幹部十数人に話を聞いてみた。するとほぼ全員が、会社の経営のことまで考える余裕はないと答えたのである。仕事をこなすだけで手一杯だというのだ。つまり新しいお客を獲得したり、新たに起きた問題に対処したり、注文を取り次いだり、といったことである。なかには、かたちばかりの経営などに価値を認めないと誇らかに宣言する幹部すらいた。彼らの多くは、どうやら経営をバックオフィスのスタッフが伝票を処理するようなイメージでとらえているらしい。
一流投資銀行のパートナーたちは、たしかに猛烈な勢いで効率よく仕事をこなす。だがそれはあくまでも有能な個人としてであって、経営者としてではない。ただ投資銀行(当時)は基本的に規模が小さいので、たとえ幹部がだれも経営に関心を持たなくても、事業としての成功を実現できる。それでも、不安を抱く思慮深いパートナーは少なくない。取材では、こんな声が聞かれた。
「会社の性格が知らないうちに変わってしまうような気がする。とにかく私には、自分のところに回ってきた仕事しかわからない」
「会社はうまくいってるが、繁盛しすぎかもしれないな。目の前の利益や新しい問題の解決に気をとられて、どんなビジネスをしたいのか、どうやったらそのビジネスから利益を上げられるのか、考える時間がない」
「利益のことばかり考えるのはやめて、会社の経営のことを考えてはどうかと上の人に言ってみたことがある。だが現実に会社はうまくいっているわけだから、だれも耳を貸そうとしなかった」
ちなみに私の講演を聴いたり資料を読んだりした人たちが示した反応からすると、同じような懸念は投資銀行業界全体に広がっているように思われる。
一方、同じ協会に所属するとは言っても、証券会社は投資銀行と違ってかなり規模が大きい。だから上級幹部は経営に絶えず注意を払わざるを得ず、しっかりした決意を持って経営に臨み、そのための体制を整えていることが多い。証券業界で倒産や合併が相次いで発生したことも、会社の経営は、その他の業務とはまったく次元が違うのだから、そのための特別な仕組みが別に必要だという認識につながっている。好況時に倒産したり、合併を呑まざるを得ない事態に立ち至るのは、経営の仕組みづくりを怠ったツケと見なされる。
経営の意思は、どんな事業の成功にも欠かせないものである。ゼネラルモーターズ(GM)の会長を長く務めたアルフレッド P. スローンJr.は、名著『GMとともに』の中で創業者ウィリアム C. デュラントの功績を称えながらも、次のように語っている[注1]。「デュラントは偉大な実業家だが、一つ弱点があった。事業を興すことには秀でていたが、それを長く運営できなかったことである。創業者である彼が、GMを長期にわたって自ら経営できなかったことは、アメリカ産業史にとって非常に残念なことだ」。デュラントが去った後に、スローンがGMにもたらしたのは、まさにGMという大企業を経営する意思だった。
本来なら歴史に名を残すはずの優秀な創業者や後継者たちが脱落してしまうのは、経営の意思が欠けているからではないだろうか。
「意志あるところ道あり」
いったん必要に目覚めれば、事業を経営する立場にある人は経営の意思を持つ。そして意思を持てば、次には効率的な経営の仕組みを整えようとする。格言に「意志あるところ道あり」と言うとおりである。
ところで経営の意思について話す前に、まずは経営そのものの意味を確認しておこう。ここでは、ある銀行家が話してくれた定義を紹介したい。「経営とは組織の目標を定め、人材を始めとする資源をその目標達成へと導いていくこと」というものである。これは優れた定義と言える。
その場での状況変化への対応を優先し、臨機応変に運営してしまうのも経営の一手法には違いない。しかし意思をもって企業を運営することもまた一つの経営手法である。急成長中のグローバル企業の新任CEOは「我々は事業が拡大するがままに任せるのではなく、会社の成長を自らの手で統制しようと決意した」と語ったが、これこそ会社を経営する意思にほかならない。
ただし、経営を志すことと成功を目指すこととは、必ずしも同じではない。事業を成功させたいというのは、CEOを始め経営幹部ならだれしも持つ望みである。ここでは、規模は非常に大きいがそこそこの成功しか収められなかった中西部の企業の例を挙げて、両者の違いを説明してみよう。
この会社のCEOは自社の成功を強く望み、個人的にも会社にひたすら献身した。夜遅くまで働き、会社の出来事は何一つ見逃さず、競争相手に大胆な戦いを挑み、大規模な計画や設備投資に関して次々と見事な決断を下す。増収とコスト削減を目指す遠大な目標を立てて先頭を走り、組織再編や配置転換を頻繁に行う、という具合だ。
このCEOは非常に支配力のある人物ではあったが、ワンマン経営者だったわけではない。ワンマン経営をするには会社が大きすぎた。多くの部門には優れた経営手法が導入され、販売・製造・財務関連の最新の技法も採用されたし、コンピュータや統計分析手法も早くから採り入れられていた。つまり社内では近代的なマネジメント手法がきちんと活用されていたのである。だがCEO自身は、会社全体の経営を深く考えようとはしなかった。
このためCEOから部下には「売上げの拡大」と「コスト削減」だけが目標として伝えられ、目標達成のための戦略も何も存在しなかった。CEOの下で働く経営チームのメンバーは、上からの指示を待つだけだ。CEOが優先順位を突然変えれば、目に見えない多大なコストが発生する。皆それをわかっていたが、そんなことを自由に話す習慣はなかった。ほかに頼れる指針などもないまま、ひたすら指示を待つほかなかったのである。
あれほどやり手のCEOなのだから、経営をシステム化すれば事業はもっと成功するだろう──社員の多くは内心ではそう思っていた。だがCEOは押し寄せる仕事に次々と決断を下すのに忙しすぎて、会社の仕組みを手直ししたり、システムを構想したりする時間すらなかった。この会社の業績は悪くはなかったが、競合他社と比べて抜きん出ていたとは言えない。ただしまずまずの業績だったため、意思を持って会社の経営に当たる必要性にCEOは気づかぬままだった。
もしこのCEOが、会社の経営こそ自分の仕事だと肝に銘じていたら、おそらくは自身の能力に倍する仕事ができただろうし、部下の能力を有効に生かすこともできただろう。そうなれば利益は大きく伸び、結果的には成功願望のほうも首尾よく達成されていたはずだ。
このように、成功を目指す決意と、経営に向き合う決意とははっきり違う。どちらも大切だが、社員300人以上の企業が長期にわたって成長を遂げるためには、後者が不可欠である。どんな企業でも、事業の成功を目指すだけでなく、事業を経営しようという意思を幹部がしっかり持っていれば、成功の見込みは高くなる。そのような意思があれば、自ずと意思を具体的な行動に移す仕組みをつくり、活用しようとするからだ。そして事業の伸展に振り回されるのではなく、自分たちが事業の舵取りをする手段を探すに違いない。
経営の意思をいかに効果的に、かつ断固として貫き通せるか──事業経営の成否はそこにかかっていると私は信じる。経営が科学になり得ないことを本能的に知っている多くの経営者は、「科学的な経営」に手を出そうとはしない。だが有能な経営者なら、一貫性のある経営システムが事業の成功に結びつく現実的な方法であることを知っている。
【注】
1)Alfred P. Sloan, Jr., My Years with General Motors, Doubleday & Company, Inc., New York, 1964, p. 4.(邦訳『[新訳]GMとともに』有賀裕子訳、ダイヤモンド社、2003年)
[著者]マービン・バウワー
[監訳]平野正雄[翻訳]村井章子
[内容紹介]経営とは何か。いかにすれば企業は成長するか。経営の原点とも言える根源的な問いに、今日のマッキンゼーを築いたバウワーが、それは「経営の意思」だと明解に答える。世界最高のコンサルティングファームを築いた男が1966年に書き残した伝説の経営書The Will to Manage の翻訳。時代の変遷を超え、いまなお通用する経営の真髄がここにある。
[目次]
監訳者まえがき
序章
第1章 経営の意思──意志あるところ道あり
第2章 経営理念──これが我々のやり方だ
第3章 戦略──我々はこの道を進み、こう戦う
第4章 行動方針・基準・手順──行動と戦略を結びつける
第5章 組織──人々を束ね、力を発揮させる
第6章 経営幹部──会社の宝を育てる
第7章 事業計画・業務計画とコントロール・システム──道順を決めるシグナルを設置する
第8章 計画から実行へ──社員を動かす
巻末注