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リーダーの能力評価はいかに行うべきか
筆者は先頃、チェスが大好きな兄と一緒に動画を見ていた。これらの動画ではマスターの称号を持つチェスのベテランたちが、正体を隠された2人の「謎の」プレーヤーによる対局の指し手を見せられる。一連の指し手をもとに、マスターは謎のプレーヤーのレーティング(実力を示す数値)がいくつなのかを答えなければならない。
チェスは技術と戦略のゲームだ。偶然や運、ランダム性が入り込む余地はほとんどない。したがって、何千もの対局を研究してきたマスターは、他のプレーヤーの実力を見極めることに長けている。そのために彼らが必要とするのは、対局を見ることだけだ。そのプレーヤーのレーティングは、指し手からおのずと明らかになる。
筆者らが見ていた動画の一つで、非常に驚くべきことが起きた。対局を観察していたマスターたちは、ある指し手を見て一瞬沈黙し、こう指摘した。これは天才による見事な一手か、愚か者によるうっかりミスのどちらかだ、と。
彼らの趣旨はこうだ。もしもこの一手が、競争上の優位を活かすための意図的な戦略として打たれたのであれば、天才的な技術の表れかもしれない。だが同じ一手でも、「次にどうするか」を考えていない独立した動きであれば、愚かにもなりうる。
熟練のマスターをもってしても、対局の展開を見なければ、その違いを見分けることは不可能な場合もあるのだ。
さて、チェスという明確な必勝法が存在する決定論的なゲームでこうしたことが起きるのであれば、はるかに多くの不確実性、ランダム性、変動要素を伴うビジネスの世界はどうだろうか。
ビジネス界の「マスター」たち──取締役会メンバー、人材スカウト業者、経営コンサルタント、投資アナリストなど──は、経営人材の能力を評価したり格づけしたりする任務を負うことが頻繁にある。こうした評価は、当該経営幹部によって実行されたビジネス戦略を審査することで行う場合が多い。
そしてここでも、トップレベルと思しき人物による「天才的」な能力の証と見なされる戦略がある一方で、何もわかっていないであろう人物による「愚か」な過ちと判断される戦略もある。