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自分を実力以上の存在に見せていないか
ある企業の経営幹部を務めるベンは、次期CEO候補である3人のうちの1人に選ばれていた。彼は、(本稿執筆者の一人で)エグゼクティブコーチのカルッチにこう言った。「(自分のことを)実際よりも優れた人間だと印象づけないといけないな」
それはベンがなしうる最悪の行動だった。そのようなことをしてCEOに選ばれれば、任期中ずっと、自分が生み出した幻影を維持することに労力をそそがなければならなくなる。それも、自分のイメージと本物の自分との間の緊張に耐えなくてはならない。この状況で、カルッチは次のような助言をした。「あなたがしなくてはならないのは、CEOに就任してからも学習を続け、目指すべきCEOになる能力があると、(CEO選出委員会を)説得することです。成長し続けられる土台となる能力が十分にあると示さなければなりません」
実力以上の能力があるように周囲に思わせることが成功のカギだと考えているのは、ベンだけではない。16世紀のイタリアの政治思想家マキャベリが、1532年の著書『君主論』で、「優れた資質をすべて持っている必要はない。ただ、それらを持っているように見せることが、極めて必要なのだ」と述べたことは有名だ。筆者らのクライアントにも、自分の能力に関する幻想を維持することに人生を費やして疲れきっている人があまりにも多い。
ある研究によると、自信過剰に陥る傾向が強まっており、さらに悪いことにそれは伝染しやすいという。そこで本稿では、過度な自信が危険である理由と、リーダーが正当な信頼を築く(または築き直す)ための戦略を紹介しよう。
自信過剰のリスク
自分のことを実際よりも優れているように見せようとしたことがあるのは、あなただけではないだろう。その試みが報われることはめったにないが、万が一成功して、自分の才能や能力以上に昇進し、称賛され、報酬を得るようになると、さらに状況が悪化する可能性がある。
自分のことを実際よりも優れていると周囲を納得させようとすると、自分がそう思っているかどうかにかかわらず、裏目に出ることが多い。それでも、自分が痛い目に遭うことはないと考えていると、むしろ、とんでもなくひどい状況に陥る可能性が高い。以下では、昇進したり、仕事を得たりするために、必要以上に自分を大きく見せることにはどのようなリスクがあるかを紹介しよう。
信頼性と信用の喪失
あなたが自分で主張するほど有能でも、経験豊富でも、知識豊富でもないことが明らかになると、あなたの信頼性は低下する。個人的な関係であろうと仕事の場面であろうと、信頼は一度失うと回復するのが難しい。さらに、周囲はあなたのさまざまな側面についても信頼できるか疑うようになり、あなたの正当な才能まで価値を失ってしまう。
ストレスと不安の高まり
よい上辺を維持するために、絶え間ない努力が必要となり、大きなストレスや不安を生じさせるおそれがある。真の能力が露呈したり、自分が生み出した期待に応えられなかったりする不安は、メンタル面および情緒面のウェルビーイングを傷つける可能性がある。あなたに関する幻想を信じ込ませた人に、情緒的なストレスを生じさせる可能性もある。
成長の機会の喪失
実際よりも能力が高い振りをすると、学んで成長する機会を逃しかねない。足りない部分があることを認めると、現実的な自己改善につながるメンターや研修や経験を希望しやすくなるが、能力不足を隠すと、それを解決する機会を失ってしまう。古代ギリシャの哲学者エピクテトスの言葉を借りると、人間は自分がすでに知っていると思っていることは学べない。したがって、自分の真の能力と、思い込み能力のギャップをエゴで(つまり能力や努力によってではなく)人為的に埋めていると、いずれ停滞することになる。
人間関係へのダメージ
自分らしさを維持すると、深くて有意義な人間関係を育めるが、自分を偽ると他人との間に距離が生まれる。あなたの能力について誤解するよう誘導されたと思った人は、あなたとの距離を置きたいと考える可能性があり、あなたは孤立したり、つながりを断たれたりする。こうした孤立は、恥や深い不適格の感覚へとつながり、ますます自分の能力を誇張して、注目を集めなくてはならないと感じるようになる。まさに悪循環だ。
長期的な成功は限定的
自分の能力をごまかすことは、短期的にはプラスになるかもしれないが、持続可能な成功は純粋な能力と人格の上に築かれるものだ。中身よりも外見にこだわる人は、いずれ真の能力が試されることになった時、大きな挫折を経験することになる。自分の能力を誇張すると、本来回避しようとしたはずの挫折に、かえって突き進むことになりかねない。
だが、何より大きなリスク(と現実的な代償)を担うことになるのは、周囲にいる人たちだ。嘘や誇張された能力は信用される可能性が高いため、あなたは冒頭のベンのようになる可能性が高い。つまり、あなたには周囲に信じこませたほどの能力はなく、過大評価されているけれど、成功する人なのだ。
信頼を再構築する
自分の能力を周囲に誇張したいという衝動に駆られている(あるいはすでに誇張して、この幻想をいつまでも維持できないことに気づいた)場合に、潔く現実および正当な信頼性に立ち返る方法を以下で紹介しよう。
真実が露呈した時のリスクを認識する
自分の能力を誇張するという選択は、偶然なものではない。どこかで学習した行動だ。自分の能力を正確に認識されると危険だ(たとえば不適格と思われるとか、チャンスを逃すとか、「平凡」と見なされるとか、完璧を期待されているのに応えられない)と、あなたはどこかで学習したのだ。
「実はさほど優秀でないことがばれたら……」という、自分の内なる声に耳を傾けてみよう。その続きはどのような文章になるだろうか。あなたが避けたいとおびえていることは何か。自分が抱いているリスクをあぶりだせば、初めてそれを経験した時のエピソードを見つめ直すことができる。
ベンの場合、人格形成期において、競争でチャンスを勝ち取れず、叱責された経験が長かった。高校時代の陸上部のコーチは、大学のスポーツ推薦を取るように強く推し、まさに「実際よりも優れていると思わせないといけない」と言った。ベンは結局、奨学金をもらえなかった。
ナラティブを再構成する
もし、達成できない期待をすでに設定してしまったなら、過去の主張が誇張だったとストレートに認めるのではなく、より現実的な方向に話をさりげなくシフトさせるとよい。
たとえば、「かつては〈X〉について、私には高い能力があると思っていたが、学べば学ぶほど、さらにマスターしなければいけないことがあるとわかってきた」とか、「最近多くの学びがあり、いろいろと考えが変わってきた」といった言い方ができる。こうすれば前言を撤回しても、意図的に人を騙そうとしたのではないという印象を与えられる。
正直に認める(それが適切な場合)
重要な人間関係においては、正直に誇張を認めるほうが、あなたの信頼性を傷つけるよりも、むしろ信頼性を高めたり修復したりできる。誇張が裏目に出そうな時、あるいはあなたの能力が疑問視されている(と思われる)時は、ストレートに責任を認める姿勢が、強力な効果をもたらす可能性がある。たとえば、「〈X〉に関する私の経験をどう説明すべきか、ずっと考えてきた。実際よりも素晴らしいと言ってきたように思うのだ。調子に乗ってしまった。私が実際にできることについて、率直に説明したい」という言い方ができる。このレベルの告白に耐えられる強い人間関係があるなら、このアプローチは検討に値する。
成長に焦点をシフトさせる
能力開発の必要性を正直に見つめると、過去の誇張を意図的な誇張ではなく、よりよくなるための道のりの一部と位置づけ直すことができる。また、能力不足を正直に認めると、むしろあなたに対する尊敬の念を大きくし、あなたの真の才能がより肯定的に見られることにつながる。
たとえば、「昔は自分のことを〈X〉のエキスパートだと思っていたが、本当に能力の高い人たちと仕事をしていたら目が覚めた。私にはまだ学ぶべきことが数多くあった」といった言い方ができる。これは謙虚な姿勢と、自分も成長するという決意の表明になる。間違いを隠したり、助けを求めるのを避けたりする必要はなく、自分の欠点を認めても安全だという模範をリーダーとして示すこともできる。
注目する対象を変える
自分以外の人、とりわけ自分よりも能力が高い人にスポットライトを当てると、リーダーとして真に謙虚な姿勢を示すことができる。承認欲求や、人と比べられることへの不安から、実力を誇張してきたなら、「昔は〈X〉に特別な才能があると自負していたが、君たちの仕事ぶりは本当に素晴らしい。私も学ばせてほしい」と言うことができる。
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不健全な比較や謙虚に見える自慢、過大な自尊心であふれる世界では、完璧な人間に見えなくてはいけないという強力なプレッシャーが存在する。だが、真の自信と成功は、時間とともにスキルを高め、才能を伸ばすことから生まれる。自己認識能力の内面化は、他人が自分(専門知識やポテンシャルを含む)をどう思っているかを理解することから始まる。能力がある振りをするのではなく、進歩や学習、自分らしさに重点を置けば、長期的にはあなたと周囲の両方にプラスとなるだろう。そうすれば、何らかの「振り」をしなければならなくなっても、その装飾は少なからず一定の実体を伴っているはずだ。
"When You Oversell Your Abilities and It Backfires," HBR.org, March 24, 2025.