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競争が社会問題に持続的な解決をもたらす
競争と価値創造を深く理解できれば、さまざまな社会問題に対する洞察力が得られる。『[新版]競争戦略論Ⅱ』に掲載されている第9章「環境対応が競争優位を生む」(邦訳Ⅱ巻・第4章)は、環境問題と企業の活動の関係を論じている。企業が環境基準に従おうとするとコストがかかるので、環境改善は経済競争力と対立すると見なされることが多い。しかし、そのような考えは、競争のダイナミズムを理解していない単純な見方である。この章は、競争理論を踏まえて、「環境対競争力」という二分法が間違っていることを指摘する。
新しい考え方では、企業は環境規制に対応しようと努める過程で資源の使用効率を高めることができ、競争力が高まるとされる。その効率の向上に終わりはない。この見方によれば、企業が発生させるあらゆる形態の汚染は、経済的浪費の兆候である。つまり、非効率な資源の使用、エネルギーの浪費、貴重な原材料の廃棄が行われている証拠である。よりよい技術や方法で環境パフォーマンスを改善することは、しばしば生産性を高め、改善のためのコストを相殺する(部分的相殺に留まる場合もあるが)。これは、環境問題に取り組む人々の間で「ポーター仮説」(Porter Hypothesis)として知られている。
そのためには、政府による環境規制は、基準は引き上げてもそれを達成する手段は企業の選択に任せ、規制自体から生じる不要な取引コストを抑制し、製品とプロセスのイノベーションを促進するということが重要である。この論考は、かつて激しい議論を呼んだが、いまでは広く受け入れられている。特に実際に環境改善の現場で働いている人々の間では受けがよい。企業は環境改善を、規制に従ってしぶしぶやるのではなく、生産性と競争力の向上に不可欠と考えて取り組まなければならない。
本書第10章「インナーシティの競争戦略」(邦訳Ⅱ巻・第5章)は、米国の都市中心部に見られる経済的困窮を論じた章である。都市の貧困は社会的な問題として認識されており、解決策の主眼はインナーシティの住民の緊急ニーズを満たすことに置かれている。しかし、この問題は経済的な問題でもある。健全な経済がなければ、健全なコミュニティもない。就業可能な仕事や、収入や富の創出につながる機会がなければ、どんなに社会的投資を行っても永続的な効果はおぼつかない。これまでインナーシティの経済発展のために多くの努力が払われてきたが、市場原理を無視したものが多すぎた。インナーシティの立地は競争上の不利を抱えているという前提に基づいて、経済開発は、多くの場合、非営利組織や移転する政府機関のビル建設の形を取った。さもなければ、多額の補助金を支出して、企業の合理的判断をねじ曲げてでもインナーシティに招き入れようとしてきた。
だがこの章は、競争上の不利な点に目を向けるのではなく、問題を逆手に取る。インナーシティに存在する競争優位に焦点を当てることによってしか、持続可能な経済発展は実現しないというのが私の主張だ。私は競争力に関する広範な理論をこの問題に当てはめ、米国の主要都市で数千の成功企業を生んだインナーシティの優位性を論じた。
そのような優位性に立脚した経済発展のアプローチは、ビジネス立地としてのインナーシティが抱える不利な点の解消だけでなく、最も困窮しているコミュニティへの対処にも有効だ。貧困削減を目指すアプローチから、雇用、所得、富の創出を目指すアプローチに切り替えるなら、都市の衰退は必ず避けられる。この主張から非営利団体のイニシアティブ・フォー・コンペティティブ・インナーシティ(ICIC)が生まれた。同団体はインナーシティの経済に関する研究を拡張し、理論を実行に移すのを助けた。私はこの考えを当てはめて農村部の経済発展の課題にも取り組んだ。
ヘルスケアは米国をはじめ、あらゆる国が直面しているもう一つの緊急の社会問題である。米国では、医療の高コスト構造と多数の無保険者の存在が引き金となって、医療システムの再構築をめぐる全国的な議論が起こった。
第11章「競争による医療制度の再生」(邦訳Ⅱ巻・第6章)で、エリザベス・タイスバーグと私は、間違った競争が米国の医療システムを混乱させているという指摘を行った。逆に、正しい競争──患者にとっての価値を創造する競争──は、持続可能な解決をもたらす。医療の世界の価値は、支出額一ドルで実現した患者の健康に表れた効果によって定義される。この価値の向上を目指す継続的なイノベーションだけが、医療を配給制の世界に閉じ込めることもなく、質を低下させることもなく、医療のコストを管理することができる。実際、医療ケアのコストを本当に減らす唯一の方法は、ケアの質を向上させることだ。なぜなら、医療費は病気にかかるのであって、健康にはかからないのだから。
この章は、ヘルスケアの世界がなぜゼロサム競争──参加者が価値を増やそうとして競うのではなく、価値を奪い合うために競う──になったのかを探る。米国の医療の世界では、競争が間違ったレベルで、間違ったものをめぐって行われている。より多く儲けるための、あるいは他所から患者や保険加入者を引き抜くためのコスト移転が常態化し、労力が交渉力の蓄積に向けられることが常態化している。システムを修復するには、競争の中心を「誰が支払うか」から「誰が最高の価値を提供するか」にシフトさせる必要がある。この章は、医療がプラスサム競争でどう変わるかというビジョンを提示している。後に出版されたタイスバーグと私の共著『ヘルスケアを見直す』は、このビジョンをより広範かつ詳細に発展させ、どうすれば医療サービスを変えられるか、各アクターが患者の健康という価値創造に向かえるかを論じたものである。
第3部の各章は、経済政策と社会政策の新たな統合が始まったことを示している。これまでずっと、経済政策と社会政策は別物の扱いを受け、しばしば矛盾すると思われてきた。経済政策は、インセンティブを提供し、貯蓄と投資を促し、政府の介入を最小限にすることによって富を創出しようとしている。社会政策は、市場への介入、補助金、再配分に大きく依存しながら、教育その他の人間のニーズを提供すること、恵まれない人々を支援すること、さまざまな規制によって市民を保護すること、そして環境を保護することに集中している。
社会政策の立案者は市場を問題視し、市場の結果を修正しようとする傾向がある。経済政策の立案者は政府の介入を問題視する傾向がある。社会的権利の擁護団体は、しばしば企業を問題視する。企業は、社会的問題をみずからの関心領域の外に置き、しばしば社会組織を特別利益団体と見なす。企業は非生産的な介入によって縛られない強い経済こそが最善の社会プログラムだと考えている。
こうした古い二分法は時代遅れで間違っている。長期的に見れば、社会政策のゴールと経済政策のゴールは本質的に矛盾するものではない。生産的で成長力のある経済には、教育を受け、問題を起こさず、健康的で、きちんとした家に住み、チャンスをつかむ意欲のある労働者が必要である。企業活動による環境汚染は、資源を生産的に利用できていないということにほかならず、環境パフォーマンスの改善は競争力を高めることにつながる。
社会政策と経済政策が唯一ぶつかるのは手段においてである。再分配、補助金、市場介入によって社会目標を達成しようとする努力は失敗に終わり、その過程で、環境とインナーシティを扱った二つの章に示されているように顕著な経済的コストが発生する。同様に、労働者の訓練、安全、福利厚生を犠牲にして利益を上げようとするような経済行動も長期的には失敗に終わるだろう。
社会問題と競争を扱った各章は、経済目標と社会目標を調和させて同時に実現する新しいアプローチを示している。そのために必要なのは競争、イノベーション、価値創造への集中であり、市場を妨げるのではなく市場を通じた働きかけである。社会プログラムは、個人を市場から隔離するのではなく、市場で成功できるように備えさせる必要がある。環境問題や高額な医療費などの社会問題への取り組みは、イノベーションと競争を利用して根本的な原因に対処する方向に向かうべきであって、社会の他のグループにコストを付け替えるようなものであってはならない。
本書『[新版]競争戦略論Ⅱ』はこの原則の有効性を環境、インナーシティ、医療を例に取って示したが、この原則は社会保障、教育、住宅など、他の多くの社会問題にも当てはまる。
[著者]マイケル E. ポーター
[監訳]竹内弘高
[翻訳]DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部
[内容紹介]競争戦略論の第一人者マイケル E. ポーター(ハーバード・ビジネス・スクール教授)の「競争戦略論」の改訂増補新版。競争戦略、競争優位の戦略、企業戦略のエッセンスがこの1冊でわかる。経営者、ビジネスマン、経営学者の必読書!
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[著者]マイケル E. ポーター
[監訳]竹内弘高
[翻訳]DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部
[内容紹介]先進国産業や企業の成功要因を徹底分析した新立地・集積理論「クラスター理論」や都市問題の解決策を論じるなど、競争戦略の可能性を広げる話題の論文集。国の競争優位、環境対応、都市問題、医療システム競争など企業の競争戦略を鳥瞰して再構築するための理論書!
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※本書は1998年発行の『競争戦略論Ⅰ』(原著はOn Competition first edition, 1998)の改訂新版です。原著がOn Competition Updated and Expanded, 2008として、first editionから3本の論文を削除して5本の論文を加え、さらに2本の論文を改訂したのに伴い、翻訳書の増補改訂新版としてⅠとⅡとに二分冊して発行しています。Ⅰでは、第1章が改訂、第4章と第6~9章が原著で加わった増補論文です。