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なぜ「日本にはリーダーがいない」と言われてきたのか
「日本にはリーダーがいない」という指摘は、国内外の学者、ビジネスパーソン、メディア、政策立案者など多様な立場から繰り返し語られてきた。これは欧米のリーダー像との比較という文脈において、課題として強調されることが多い。
国際経営学者のマルクス・プデルコ※1は、米国のリーダーシップの特徴を「短期的成果を最大化するために、迅速に判断し、責任を引き受けるカリスマ的リーダー」であるとした。それに対して日本のリーダーシップは、「協調的・長期志向・制度に基づくリーダー」が特徴であると述べていた。
これは最近に始まった傾向ではない。米国の社会学者エズラ・ヴォーゲル※2は、1972年に発表した論文の中で、日本の経済発展を支えた要因の一つとして「集団主義」と「調和志向」を挙げており、日本では「同調的」「支援型」のリーダーが機能していることを評価していた。これは、明確なビジョンを掲げ、カリスマ性と情熱で組織を牽引する「変革型リーダーシップ」が理想とされてきた欧米式のトップダウン型とは異なるリーダー像である。
社会人類学者である中根千枝が著書『タテ社会の人間関係』で述べたように、日本社会の組織は「タテの関係」(つまり、年功や在籍歴を基準に成立する非対称的な関係)で構成され、集団内の調和を乱さないことが重視されがちである。そのため、「空気を読む」「忖度する」といった文化の中で、トップダウンによる明確な指示よりも、現場が自律的に動く構造が奨励されてきた。
このような文化的土壌が、日本の「目立たず、周囲と協調しながら物事を進めるリーダー像」を形成する土台となってきた。松下幸之助や本田宗一郎などの、戦後日本を代表する企業家たちは、強い個性を持ちつつも現場への信頼と権限委譲を重んじるスタイルで知られている。「日本にはリーダーがいない」という指摘は所謂失われた30年で強調されるようになったが、その特徴はそれ以前から存在していたのである。
日本のリーダーシップが抱える構造的課題
高度成長期のように欧米へのキャッチアップが求められ、目標が明確だった時代には、優秀な現場とミドル層に任せる方式でも成果を挙げることができた。その一方で、日本の伝統的大企業が過度に「和」を重視するコンセンサス型リーダーシップに適応した結果、リーダーの意思決定は慎重になりすぎ、外部環境の変化に対して迅速な対応がしにくくなるという構造的な課題を抱えるようになった。