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意思決定を行う委員会で重要な情報共有ができていない
大規模な設備投資を検討する投資委員会から、R&Dのステージゲート審査に至るまで、組織は重大な意思決定を委員会に委ねている。その論理は理にかなっているように思われる。多様な専門知識と視点を集めることで、重大な意思決定に役立つ包括的な解決策が特定できるからだ。
しかし、「適切な人材」を集めることは、確固たる意思決定に不可欠ではあるものの、第一歩にすぎない。最も有能な専門家でさえ、重要な洞察を共有できないことがある。委員会のダイナミクスや不文律がオープンな情報提示を妨げ、重要な情報や異論が個人の頭の中に閉じ込められて、集団の議論に反映されないためだ。自己検閲、沈黙を同意と解釈すること、異論の抑圧などにより、専門家の集団は健全な意思決定に必要な情報を議論中に示すことにいつも苦労している。その結果、スペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故からピッグス湾事件に至るまで、大規模かつ破滅的な誤判断が数多く引き起こされてきた。
なぜ委員会は関連する情報を示すことができないのか。そして、それを打開するにはどうすればよいのか。
米食品医薬品局(FDA)諮問委員会に関する筆者らの研究は、会議に誰が出席するかだけでなく、委員会のプロセスがどのように構築されているかも重要であることを明らかにしている。委員会の手順をわずかに変えるだけで、情報共有の動機づけを根本から形成し、意思決定の質を劇的に向上させ、集合知を解き放つことができるのだ。
委員会が失敗する理由
委員会は多くの利点をもたらすが、意思決定を行う集団は、情報の提示と処理においていくつかの課題に直面することが知られている。その根底にあるのは、委員会の個々のメンバーが個人的に保有する情報を共有することに伴う「認知的」コスト、「心理的」コスト、「社会的」コストだ。これらの課題はすべて、独自の情報を共有することで個人に多大なコストがかかるという共通の根本原因から生じている。
認知的コスト
人間の認知能力には限界があり、個人の情報を共有しにくくする傾向がある。これは、独自のデータ、つまり「未共有の」データは、特に現在の議論との関連性が不確実な場合、想起したり明確に表したりするためにより大きな認知的労力を要するためだ。その結果、集団内の個人は、容易に引き出すことができ、検証し、議論できる、共有された一般的な情報に自然と引き寄せられる。この「容易に入手可能」な情報への偏りによって、チームは発見よりも冗長性を優先させてしまう可能性がある。
心理的コスト
個人による情報共有は、人々が避けたいと考えるある種の心理的脆弱性を招く。異なる見解を表明したり、これまでに言及されていない懸念を提起したりすることは、間違いである可能性があり、さらに悪ければ、集団と協調していないと認識されるおそれもある。この現象は「評価懸念」と呼ばれ、間違いが評判やキャリアに悪影響を及ぼす階層的なチームや高位のチームでは特に顕著になる。個人は、価値ある洞察が欠けているからではなく、判断されたり却下されたりする可能性に対する心理的負担が、貢献する利益を上回ると考えるため、自己検閲を行ってしまうのだ。
社会的コスト
集団における社会的力学は、未共有の情報の提示をさらに阻害する可能性がある。集団は合意と結束を重んじる傾向があり、同調を強める微妙な圧力を生み出す。共通の知識について議論することは、信頼関係を築き、一体感を強化するのに役立つ一方、新しいデータや矛盾するデータを持ち込むと、混乱を招くように思われることがある。メンバーが共通の理解を確認することで信頼を得る相互強化のような社会的動機が、正確性よりも妥当性を求めるサイクルを生む可能性がある。こうした環境では、調和を育む規範そのものが、厳密な意思決定に欠かせない多様な思考を抑圧するかもしれない。
委員会のプロセスが多様な視点の表明を積極的に促さない場合、参加者は自然と安全な行動に走ってしまう。全員がすでに知っていることについて議論し、合意を求め、貢献を制限することで、個人的なリスクを最小限に抑えるのだ。これは集団の意思決定において、避けられない結果ではない。むしろ、委員会の設計に欠陥があったことに起因する予測可能な結果だ。FDAに関する筆者らの研究が示すように、委員会の運営方法を少し変えるだけで、情報共有が大きく改善し、委員会に集められた専門知識の真の潜在能力を解き放てる。