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ファイザーは新型コロナワクチンの製造工場をどのように選んだのか
製造業企業が構築している社内のグローバルな製造ネットワークの中で個々の工場が生き残り、さらには成功を収めるためには、どうすればよいのか──この点は、ほとんどの工場のリーダーにとって常に頭を離れない悩みの種だ。企業の吸収合併や統合が行われれば常に、工場の存続が大きな脅威にさらされる。その会社の本社から地理的に遠く離れていて、コストの高い小国に所在する工場の場合、その脅威はひときわ深刻だ。
工場が将来にわたって長く存続できるようにするために、工場のリーダーにできることはないのか。製薬大手のファイザーがベルギー北部の都市プールスに保有している工場の幹部たちは、工場の存続のために、リーダーにはできることがあると実証してみせた。この工場は、2020年3月に同社が新型コロナウイルス感染症のmRNAワクチン(同社とビオンテックが共同で開発した)の製造拠点として選んだ2つの工場のうちの一つだ。
ファイザーが選んだもう一つの工場は、米国ミシガン州カラマズーの工場だった。この工場が選ばれた理由は理解しやすい。同工場は、同社が米国に保有している最大の工場だからだ。しかし、この他に同社が世界に保有している38の工場の中で、なぜプールス工場が新型コロナワクチンの製造という極めて重要な任務を遂行する施設に選ばれるほどの信頼を勝ち得たのか。
この問いの答えを明らかにするために、筆者らは2021年秋から2023年秋までの2年間、プールス工場を研究した。ファイザー上層部の全面的な支援の下、同工場を複数回訪れて、工場の上級幹部たちに話を聞き、関連する社内文書を精査し、同社や同工場、同社の生産プロセスについての公開資料を検討した。すると、この工場がワクチンの製造拠点に選ばれた理由が見えてきた。同工場は、際立った独自の能力を持っていることを実証していたのだ。
では、プールス工場のリーダーたちは、どのようにしてそうした能力を築いていったのか。本稿では、この点に光を当てる。
プールス工場の歴史
プールス工場は1964年にアップジョンによって建設され、その後、数回にわたる親会社の変更を経て、2000年にファイザーの傘下に入った。それ以来、数度のリストラを生き延び、2010年に行われた大がかりなリストラも乗り切った。