攻撃のベネフィット

 「攻撃は最大の防御」戦略の妙味は、コストよりもベネフィットのほうがずっと大きい。ようするに「ピンチはチャンス」というよくある話なのだが、これを誤解してはいけない。何かの弱点を抱えて攻め込まれているわけだから、その現実をそのままにやみくもに攻撃に出ても意味はない。防御どころか総崩れになりかねない。ダメなものはダメ(ハゲなものはハゲ)なのだ

 制約や弱点を克服しようとせず、積極的に受け入れることによって、自分の競争優位や劣位についての認識ががらりと変わる。制約なり弱点と思われていたものに、思いがけない機会や強みが潜在していることに気づく。これが新しい次元を切り拓き、防御を攻撃に転化させる。そこから新しい展開が波状攻撃的に生まれてくる。ここに「攻撃は最大の防御」の本領がある。

 H攻撃に対する「攻撃は最大の防御」として、僕は丸刈りという飛び道具に手をつけたわけだが、やってみて気づいたことが多い。

 たとえば、僕はアタマがでかい(尊敬する同僚の長老に野中郁次郎さんがいるのだが、「楠木は顔がデカいから遠くからでもよく見える。立食パーティで人がいっぱいいるところとかだと、目印になって便利だ」と重宝がっている。灯台かよ?)。ところが丸刈りにするとなんとなくすっきりして、心なしかアタマが小さく見える。しかも、丸刈りにしてはじめて分かったのだが、僕はアタマの形がわりとイイ。いまでは数少ないチャーム・ポイント(?)になっている(もうひとつの希少な強みが美脚。僕の親友に井手光裕さんという人がいるのだが、知り得る限り井手くんと僕が東京を代表する美脚中年だと断言する)。

 加えて、多少なりとも爽やかさが増した。なにぶんデカアタマの文化系引き籠りなので、スポーツマン的な爽やかさはもともとゼロ(真逆な人として、たとえば、知り合いの経営者でいうとローソンの玉塚元一さん。これ以上ないほど爽やか過ぎ)。性格は実際のところまったく変わっていないのだが、丸刈りにしていると、なんだかスポーツ好きの、シャキッとした人に見られるというメリットがある。「若いころはラグビーやっていたんですか?」とか聞かれるようになった(もちろんやったことはないし、今後も絶対やるつもりはない。大金を積まれてもまっぴらごめんだ)。

 自分で丸刈りにするので、床屋代もゼロ(僕は今世紀に入ってから床屋に行ったことがない)。シャンプーもほとんどいらないし、髪もタオルでふくだけで速攻で乾く。ドライヤーもブラシもクシも整髪料も要らない。これはコスト上のメリットだが、上で話したような防御のコストが下がったのではない。新しいベネフィットが手に入ったということだ。

 D問題に対する「攻撃は最大の防御」はDKK大作戦(筋トレによる上半身、とくに大胸筋の大幅増量による腹部の漫然たる弛みの隠ぺいというわりとセコイ話)。すると、それまで人間として最低限の健康を維持するための消極的なジム通いに目的ができたので、自然とトレーニングの頻度が上がり、代謝も前よりかよくなってきた。たまに気が向くとトレッドミルでランもやるようになった。

 さらには「HとDと中年化のシナジー」という、考えてもみなかったベネフィットがみえてきた。それぞれの構成要素を個別にみると、いずれもネガティブ以外の何ものでもない。「悪魔のトライアングル」のような話なのだが、スーツなどを着用すると、H&D(ただし大胸筋増量のおかげで見かけ上は微妙に逆三角形)のド中年はそれなりにスタイルの一貫性がある。

 ようするに何が言いたいかというと、追求する競争優位の次元が(多分に意図せざる成り行きで)転換する、その結果、従来の文脈では弱みだったことが弱みでなくなり、あまつさえ新しい強みの源泉になったりする、ここに「攻撃は最大の防御」という論理の本質がある、ということだ。徹頭徹尾極私的なくだらない事例で説明したけれども、優れた戦略ストーリーが出てくる成り行きも、意外とこうしたところにあるのではないだろうか。

 自分の弱みだと思っていることが本当に弱みなのか、制約が本当に制約なのか、それぞれに「攻撃は最大の防御」のストーリーを描いてみることをお勧めする。とくにH&Dでお嘆きのド中年諸兄におかれましては、再考の余地アリだ。髪フサフサのスリムな若者には到底手に入れられないような競争優位が手に入るかもしれない(入らない可能性も大だが)。

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