2003年に出版した自伝で、彼はこう述べている。「この病気にならなかったら、僕はこれほど深くて豊かな気持ちにはなれなかった。だから僕は、自分をラッキーマンだと思うのだ」。
外部から見れば大きな不幸と思われる境遇にあって、自分を「ラッキーマン」と呼ぶ心の動きとは、一体全体どういうことだろう? 幸運な人は、それまで感じていた日常の喜びを喜びと感じられず、反対に、不運な人は、ほんの些細な出来事が喜びの源となる。心理学では、このことを対比効果と呼んでいる。
あらためて問うてみよう。不運な人と幸運な人は、どちらが幸せか? この答えは、「人間万事塞翁が馬」である。「幸運も不運も、どちらも幸せの元となる」。これが第2の結論だ。
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キャリアは人生にたとえられる。ただし、そもそもキャリアとは、正解のある課題ではないので、キャリア教育が盛んな現在でも、けっして学校で教えてくれる筋合いのものではない。仮に、キャリア教育やハローワークが示す失敗しないキャリアの選択があったとしても、それが本人にとってキャリアの成功ではない。それを覚えておこう。
50周年記念として米国で復刻された「人生ゲーム(初代)」。「人生、山あり谷あり」のキャッチコピーさながら、キャリアという盤面を旅していく。ゴールを間近に控えた人生最後の決算日では、「億万長者になるか、貧乏農場に行くか」という究極の選択を迫られる。
貧乏農場という言葉が怪しくて、どういう所かは想像もつかないが、億万長者となって悠々自適の生活を送るのも、貧乏農場で晩年を迎えるのも、すべてはルーレット次第。
しかし、ルーレットという偶然に身を任せていても、キャリアの幸福を決めるのはあなただ。あなたの心持ち、あなたの感じ方の中にこそ、幸福は存している。ローマの喜劇作家プブリウス・シルスがいうように、「己を幸福と考えざる人は、幸福にあらず」である。