昨年亡くなったアップルのスティーブ・ジョブズさん。彼が後継者にティム・クックさんを指名したときに、その理由を「勘がいい」と言ったそうです。ジョブズさんもまことに勘がいい人でした。

 周知のように、ジョブズさんが経営者として重要な意思決定を下す際、8割以上は形式的な論理を超えた「センス」としかいいようのないものに基づいていました。今日のアップルの隆盛も、ジョブズさんのセンスとそこからくる直観によって支えられている部分が大きいと思います。

 ではどうすればセンスが磨かれるのか。もちろん即効性のある答えはありませんが、物事に対する好き嫌いを明確にし、好き嫌いについての自意識をもつことがセンスの基盤にあると思います。ジョブズさんがその典型ですが、ありとあらゆる事象に対して自分の好き嫌いがはっきりしている。そして、その好き嫌いに忠実に行動する。

 鋭敏な直感やセンスの根っこをたどると、そこにはその人に固有の好き嫌いがある。好き嫌いを自分で意識し、好き嫌いにこだわることによって、経営者として重要なセンスが磨かれるのではないかというのが僕の仮説です。

会社内にも「好き嫌い」を

 会社内での議論や意思決定では、好き嫌いについての話は意識的・無意識的に避けられる傾向があります。好き嫌いはあくまでも個人の主観です。会社内で何らかの判断が必要となったとき、好き嫌いで決めてしまえば、意思決定の組織的な正当性が確保しにくい。客観的な「よしあし」の物差しが前面に出てくるという成り行きです。

 たとえば、「この事業は期待収益率が高い」とか「マーケットの伸びが期待できる」とか「当社の強みにフィットしている」といった理由で物事が決まります。そういったよしあしの判断も確かに重要なのですが、それは客観的なものであるだけに、他社も大体同じようなことを考えて、同じような結論に至るはずです。それだけでは他社と差別化するような面白みのある戦略にはなりません。

 会社のなかで、「好き嫌い」で物事を議論したり、説明したり、決定したりする機会がもっと増えてもいいのではないでしょうか。現実にはどんな判断にも好き嫌いは含まれているはずです。しかし仕事となると表立っては誰も言わないようにしています。まるで「(食べ物の)好き嫌いはいけません」としつけられた子供のように、みんな「正しいこと」を発言し、よしあしの物差しで意思決定をしようとします。

 しかし、実際には優れた会社ほど、好き嫌いのレベルで議論が飛び交っているように思います。いわゆる「ノリがいい」会社ほど、好き嫌いについてのコミュニケーションが多い。高度成長期に、ホンダやソニーといったグローバルブランドが育った背景にも、会社にとって重要な判断ほど、最後のところでは好き嫌いで決断が下されるというスタイルがありました。

 よしあしだけではなく、ときには「こっちのほうが面白い」「そういうことは嫌いだからやりたくない」という理由が判断基準であってもいいはず。お互いの好き嫌いをオープンにして、好き嫌いを許容する文化があってもいい。センスは好き嫌いで磨かれる。仕事の中で好き嫌いが飛び交う会社ほど、経営人材が育つのではないでしょうか。

 昔の人はよく言ったもので、「好きこそものの上手なれ」。これは好き嫌いの大切さを裏づける強力な論理です。好きなことでないと、人間は努力投入できないし、努力が長続きしない。長期的な努力投入がなければ能力がつかない。能力がなければ、人の役に立てません。顧客に対する価値もつくれないし、競争にも勝てないでしょう。好き嫌いの問題は一見仕事と距離があるように見えますが、実は常に経営の根幹に横たわっています。

 好き嫌いだけでは仕事になりませんが、好き嫌いこそが仕事の原動力になるというのもまた真実。一人ひとりの好き嫌いをもっと仕事に持ち込む、好き嫌いが前面に出ているということが企業としてむしろ健全な姿だと僕は思います。

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