対話学習がOJTに代わる
夫婦に会話がないのが当たり前なように、師弟が話し合いを通じて学び合うこともあまりない。意見や口答えをしないのが、弟子としての美学だと思われている。しかし、自分で判断できる自律的人材を育成していこうと思えば、必ず対話が必要になる。
意見と意見の対立を経験しなければ、指示に従う従順な人材はできても、自らの考えで動ける人材を生みだすことができないのだ。主体的な人材がほしいのか? それとも、従順で大人しい「よい子」や「いい人」がほしいのか?
対話を通じた学びは、OJTに代わる可能性を秘めている。70/20/10の公式では、20(薫陶)にあたる部分なので、「経験学習」と比べれば分が悪い。だが、OJTに慣れ切ってしまって、無策に陥っている組織では、「対話学習」の大切さをあらためて認識するのがよいだろう。そのことは、『〈先取り志向〉の組織心理学』(古川久敬・山口裕幸編,有斐閣,2012年)第2章で詳しく述べているから、参照してほしい。
*
東京大学がイニシアチブを取って、「秋入学への移行」が論じられているが、入学時期を切り替えたところで、失われた競争力は戻るとも思えない。また、TPPやFTPに参加して、海外に門戸を開くだけでは、競争力を取り戻せない。
再び世界に伍していくためには、まず、ダイアローグ(対話)を繰り返すこと。そして、考え方や価値観の異なる人にも自分の意見を述べ、きちんと対話していくために、KY(空気読めないではなく、空気読まない)な人をめざそう。浅田真央ちゃんに共感するわれわれには、キム・ヨナの生き方にこそ学びがある。