会計学を専攻したジョーンズはシステマティックで規律のある経営を追求した。「GEほどの多角化した大企業であれば、もはや特定の経営トップの情熱や直観に左右されるようではダメだ。自分の仕事は自分の存在が必要でなくなるような会社にすることだ」。これがジョーンズの基本的な考え方だった。洗練されたシステムを次から次へと導入することによって、まるで精密機械が自動的に動くように、資源配分が最適化されるような経営、そこにジョーンズの目指すGEの姿があった。その象徴的な例がジョーンズ時代にGEが開発した経営システムであるPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)。いまでこそ、過去の遺物の感があるが、PPMは多くの企業に模倣され、一世を風靡した「最先端の経営手法」であった。

 PPMのように、明快な論理に基づいて、さまざまな事業にシステマティックに資源配分をし、厳密に業績を管理する。それを動かしていたのが本社の戦略スタッフだった。ジョーンズ時代には彼らこそがGEを実質的に動かしていく頭脳中枢であり、自他ともに認めるエリート集団だった。戦前の日本でいえば大本営、昭和でいえば大蔵省主計局のような存在である。悪く言えば「内向きで管理志向の官僚的な会社」なのだが、当時のGEは「洗練された最先端の経営システムで粛々と動いていく会社」として尊敬を集めていた。

 業績がよかっただけでなく、ジョーンズのこのような経営スタイルは、ウェルチにとって変革をさらに難しくするものだったといえる。企業の経営スタイルとして、当時のGEのようにシステマティックに動いていく会社がある一方で、カリスマ的なトップの情熱や判断やビジョンで動く会社がある。一般的にいって、後者の方が企業変革は相対的に容易になる。トップが退任し、新たに別のカリスマ・リーダーがCEOになる。「去る者は日々に疎し」で、新しいリーダーが従来と異なるビジョンやメッセージを打ち出してその方向にぐいぐいと引っ張っていけば、会社ががらりと変わることがある(たとえば、日本の小売・流通業界には、こうした成り行きで、気づいてみると以前とはずいぶん違った経営になったという会社がわりと多いように思う)。

 ところが、「システム」や「機構」で動く会社になると、そうは問屋が卸さない。トップが変わって、変革の情熱をもって新しいビジョンを打ち出したとしても、経営の実体としては、従来からのシステムが粛々と会社を動かしているわけで、変革は容易ではない。ウェルチ以前のGEはその極端なタイプだった。

 カリスマ的リーダーの情熱やビジョンで動く会社よりも、フォーマルなシステムや機構で動く会社の方が変わりにくい。このことは霞が関の改革が難しい理由のひとつになっている。政権が変わり、リーダー(大臣)が変わっても、役所の仕事はフォーマルなシステム(その最たるものが法律)に則って動いているので、政治家が情熱をこめて変革のビジョンを打ち出すぐらいでは、実体はほとんど変わらない。システムと機構によって骨抜きにされてしまうという成り行きになる。

 話を日産のゴーン改革との比較に戻すと、業績悪化が続く中での経営危機はゴーンの日産にとって「追い風」であったが、過去の日産は「システム・機構系」の官僚的な体質の会社として有名だった。この視点から見れば、ウェルチとゴーンは変革の困難を共有していたといえる(それでも事業構成の複雑性や直近の業績の点でゴーン改革はウェルチのGE改革よりもまだやりやすい状態にあったということは変わらない)。
 

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