ジャック・ウェルチは1981年の就任当初からGEを変革し、大胆な戦略転換をすることを明確に意図していた。しかし、前回話したように、当時のGEには、規模と複雑性と伝統(しかもいずれも世界最大級)という変革を困難にする条件がそろいまくっていた。

 これだけでも大変なのに、変革を意図するウェルチにとって、最も強烈だった逆風は、前任者の達成した輝かしい業績だった。ウェルチの前のGEのCEOは、レグ(レジナルド)・ジョーンズ。いまとなっては、ジャック・ウェルチは知っていても、「レグ・ジョーンズ」という名前は聞いたことがないという方も多いかもしれない。しかし、この人は(81年当時は)世界中に名声をとどろかせた大経営者であり、アメリカの代表的なビジネス誌は、いずれも「70年代最高のCEO」の称号をジョーンズに与えていた。

 当然のことながら、ウェルチが就任した時点でも、ジョーンズに率いられたGEの業績は悪くなかった。悪くなかったどころか、非常によかったのである。70年代の不況とインフレをものともせず、ジョーンズは着実に売り上げと利益を引き上げてきた。81年時点でのGEは、傍から見れば企業変革の必要性がまるでないような、高収益企業だった。

 前回も引き合いに出したカルロス・ゴーンの日産改革と比較すれば、当時のGEは対照的な状態にあった。ゴーンが日産のCEOになる以前、日産は深刻な経営危機に陥っていた。「日産は倒産するのではないか」という懸念が世の中に広がっていた。日産社内の人々の間にも、これ以上ないほどの危機感が共有されていた。そうした状況で乗り込んできたのがゴーンCEOである。「日産を変える。日産は変わらなければならない」という彼のメッセージが受け入れられる素地が整っていた。

 それでも、ゴーンの打ち出した新機軸の社内への浸透は、「砂漠に水を撒くように」というわけにはいかなかった。危機的な状況にあった日産でも、抜本的な変革には抵抗がつきものなのである。ましてや、何の問題もない優良企業と認識されていたウェルチ就任当時のGEである。変革を実行しようとするウェルチにとって、その困難はゴーンの比ではなかっただろう。

 何回か前に話したように、業績が悪化し、危機的な状況にあることがはっきりしている企業の方が変わりやすい。創造的破壊のうちの「破壊」の方が、競争や環境変化によって半ば「実現されている」からだ。ようするに、今も昔も、好業績こそが変革の最大の敵なのだ。

 しかも、前任のレグ・ジョーンズのパーソナリティや経営スタイルは、正反対といってもいいほどウェルチとは異なるものだった。ジョーンズは冷静沈着な性格で、いかにも「確立された大企業のプロ経営者」の風格に満ちた人物だった。好戦的で攻撃的、イケイケドンドンの体育会系のウェルチとは好対照だ。