既存の企業の経営者とベンチャー企業の経営者の違いは何だろうか。最新号の「起業に学ぶ」で多くのベンチャー経営者と会った編集長が、その違いについて考察する。
仕事柄、経営者にお会いする機会が多いものです。業種や企業の規模もまちまちですが、その都度、その責任の重さを実感して畏敬の念を抱きます。
企業は多くの社員を抱え、その家族を含めると膨大な人の生活がかかっていることになります。取引先や株主に果たす役割、さらに大企業になると自治体や国家レベルでの責任も伴います。1つひとつの意思決定がこれら多くの関係者に影響を与える。その重圧の中で仕事をしている人を前に、いつも「凄いな」と思わざるを得ません。
本日発売の最新号の特集は、「起業に学ぶ」。というわけで、ここ数か月は、起業をされた経営者やベンチャー・キャピタリストなどの方々にお会いする機会が多くありました。
創業経営者にお会いして1番感じたのは、負っている重圧というよりも、生存競争で生き残るための強い意志でした。当たり前ですが、起業とはゼロから企業を生み出すことです。既存の社会でこれだけ多くの企業が活躍するなかで、新しい企業が存在するスペースを広げていくのは並大抵のことではありません。執念、殺気、強欲など普段のビジネスパーソンを相手に感じることのない言葉が次々と浮かんでくる。これが創業経営者とお会いして感じることでした。
DeNAを創業された南場智子さんはその代表のような方でした。明るい人柄で楽しいインタビューのひと時でしたが、その言葉の隅々に強烈なまでの自社を育てる思いが伝わって来ました。詳しくは本誌の記事を読んでいただきたいですし、南場さんの近著『不格好経営』にもよく表れています。
「絶対に成功させる」という思いの背景には、もちろん社会や周囲への責任感もあるでしょうが、それ以上のものを感じざるを得ません。もちろん、共に働く仲間や出資者への思いも十二分に伝わってきます。しかし、それだけでは説明がつかないような「何かを証明したい」思いを感じました。
どれほど歴史のある企業も、社会に根づいている企業も、最初はベンチャーです。きっと南場さんのような人が創業当時に強烈なエネルギーを注いだことから、いまの企業となっているのです。そんなあたり前のことを多くの起業家から教えられた数か月でした。
今号のタイトル「起業に学ぶ」はそんな思いからつけました。企業の原点は起業である。そのエネルギーを失わない企業こそ、成長を続け存続を許されているのでしょう。(編集長・岩佐文夫)