ツールとしても単純に紙よりも優れている部分が多い。たとえば誤答の管理や学習スケジュール作りも簡単だし、デバイスの重量は本3冊より軽く、どこでも学習できる。
さらにはゲーム要素や、競争したり教えあったりするソーシャル要素を加えることで、勉強を楽しく続けることができるようになるかもしれない。
つまり、デジタルは便利なのはもちろん、コストの劇的な低下と、学習体験の質的な進化をもたらすため、学習と極めて相性がよい。もっとも単なるウェブのブラウジングだけでは駄目だ。さらっとした情報収集は知識の習得とは違う。wikipediaを斜め読みしただけで知識として習得できる人はいないだろう。デジタル学習には、平面的な情報を立体的にするメソッドと、それを実現するサービスが必要になる。
とはいえ、これらのことは20年以上も前から言われてきたことだ。それなのに、なぜいまだに誰も大規模に学習サービスを実現できていないのか。それこそが問題である。
使いやすいハードウェアや通信インフラの問題は解決間近だとしても、デジタルでの学習を実際に提供しようとすると、超えなければならない、いくつもの高い壁があるのだ。
まずコンテンツの壁。個別性の高い配信、動画などマルチメディアの活用など、デジタル学習における最適なコンテンツは、従来の紙や流しっぱなしの動画とは制作方法が大きく異なり、提供者サイドでもまだ手探りの状態である。単に紙を置き換えただけでは、本来のデジタルの持つ威力は半減する。
追い討ちをかけるのがスケールの壁だ。学習市場は公的教育を除いても世界で50兆円とも100兆円とも言われる巨大市場だ。しかし、小さな小さな欠片の集合体である。たとえば、「日本人向けドイツ語中級スピーキング」と「ウルグアイ中学2年生の成績下位層向け数学」と「ミシシッピ川上流での釣りのコツ」では、まったく提供されるべきサービスもコンテンツも異なる。それぞれの領域で作り込みが必要な割に、1つひとつが小さすぎて、そこだけ見ると経済的にまったく成立しない。
最後に、保守性の壁がある。完全に習得したら同じことを勉強し直さないから、その領域の学習については全員が初心者だ。多様な学習方法の比較をするのは難しい。そのため重要な学習であればあるほど、「実績のあるもの」「有名なもの」を選ぶ傾向が極めて強い。予備校が広告宣伝で昨年の実績を全面に出すのはこのためだ。デジタル学習という新しい行動(ビヘイビア)を受け入れてもらうのには、時間がかかる。
よくイーラーニングは難しいと言われるが、領域を絞った小さな成功ならともかく、大成功を収めにくいのには、こういった市場の特徴があるように思う。