モバイル機器が進化するにつれ、便利になる反面、余計に時間を吸い取られるばかり。メールの洪水にあえぎ、各種のソーシャルツールの虜となっている人へのアドバイスをお届けする。


 数週間前に私は、通信端末を一切使わない「テクノロジー・ゼロ」の休暇を家族と過ごした。パソコンも、携帯電話も、eメールもなしの休暇だ。

 職場に復帰してパソコンを開くと、数百件のメールが待ち構えていた。私は深呼吸して、それらに取りかかった。3時間後、受信ボックスに溢れていた1週間分のメールの処理は終わっていた。

 これを、その後の日々と比べてみよう。私はメール処理に、「毎日」3時間以上を費やしていたのだ。往復のやり取りもあったにせよ、復帰初日との差はあまりに大きい。

 結局、私はメールを気分転換の手段としていたのだろう。わずかでも落ち着かない気分や不安な気分になった時、メールをチェックしていた。記事を書いていて煮詰まった時や、電話中に退屈した時はどうだろう。エレベーターに乗っている時、会議中にイライラした時、コミュニケーションで不安を覚えた時はどうか。やはりメールをチェックしてしまっていた。いつでも気軽に不快感を紛らわせる方法だったのだ。

 これは非常に効果的なため、やめるのは難しい。受信ボックスに何が待っているのかを考えると、胸がときめくのだ。

 また、メールのチェックは「仕事をしている」という感覚の下に正当化され、義務感を生じさせる。重要なメッセージを見落としたり、返信が遅れたりしてはならない、と。

 だが、これは深刻な問題である。メールの習慣を自己コントロールしなければ、メールの奴隷となってしまう。私の知り合いの全員が、メールの洪水に愚痴をこぼしている。メールというものは、とめどなく押し寄せてくる。だから私たちは中毒者のように、始終チェックしてしまい、目の前で起きていること――会議、人との対話、個人的な時間など――をおろそかにしてしまう。

 しかし問題は、メールの量だけではない。メールとの接し方が非効率的なのだ。急いでいる時は、携帯電話を取りだしてメールを読み込み、新着メールに目を通し、しかし具体的な処理はせず、ほかの未返信のメールを読み直す。そしてパソコンのある場所に戻ると、一連のメールを改めて読み返す。こうして時間を無駄にしているのだ。

 これは危険な兆候だ。USAトゥデイ紙(2012年4月)によれば、従業員が過剰残業を理由に雇い主を訴えるケースが、2008年以来32%も増えているという。そして残業が増えている主な理由のひとつに、スマートフォンなどの携帯端末に届くeメールが個人の時間を浸食していることが挙げられている。