「2013年2月、私は随分と久しぶりに日本を訪れ、滞在を満喫した。旅行を楽しむのはもちろん、日本のいわゆる“失われた10年”あるいは“失われた20年”についても関心があった。何が失われたのか。どこで失われたのか。失われた理由は何か――」。経営学の泰斗、ヘンリー・ミンツバーグ教授による非常に貴重なエッセイを2回にわたってお届けする。
失われた年月とは、どこに存在するのか
もし以前に日本を訪れたことがある人ならば、失われた年月の明らかな兆候を期待して日本に行くと驚くかもしれない。

(Henry Mintzberg)
カナダのモントリオールにあるマギル大学(クレグホーン寄付講座)教授兼経営学大学院教授。著書に『マネジャーの実像』、『MBAが会社を滅ぼす』、『戦略サファリ[第2版]』、HBRへの寄稿論文を集めた『H.ミンツバーグ経営論』など。また近年、Rebalancing Society…radical renewal beyond left, right, and center(社会の均衡を取り戻す――左派、右派、中道を乗り越えた革新的な再生)という題名の電子パンフレットを完成させた(参照)。
私は2週間の間に、東京・鎌倉・京都・隠岐島に滞在した。そこで目にしたのは、清潔で安定した裕福な国だった。手入れの行き届いた最新車種が行きかい、店舗は魅力的で、レストランは相変わらず素晴らしく、人々はこれまでと変わりなく感じがよく親切だった。最も印象的だったのは、北米の現状と比較して、日本滞在中の出来事はすばらしく円滑に運んだことだ。ここには失われた年月の影響はなかった。
では、失われた10年あるいは20年は、どこに存在するのだろうか。たしかに、エコノミストの示す経済統計、企業人の心の中、そして記録好きなマスコミの世界には存在する。ウォール街では長らく日本企業は人気がない。中国と比較すればなおさらである。だが、それが何だというのだ。これは世界の中のただのゲームなのか。
多くのエコノミストが無視する指標とともに、エコノミストが測定しないものも見てみよう。後者の例として文化がある。この失われた10年、20年の間でも、日本は高度経済成長期と変わりなく、その文化を見事に維持しているように見える。中国と比べてみてほしい。また、エコノミストが無視する統計に平均寿命があるが、日本人は世界で最も長寿であり続けている。日本人の寿命は失われるどころが、延びている。何かがうまく行っているに違いない。
株主価値が壊すもの
いま多くの国が直面する危険は「株主価値」と呼ばれるものである。これは資本主義の貪欲なモデルであり、米国で蔓延し、世界中に広がっている。株主価値とは、会社の株価をできるだけ速く吊り上げることを、聞こえよく言っているに過ぎない。株価以外のものは何も考慮しないのだ。自分の人生を会社に捧げている従業員、品質に細心の注意を払っている納入業者、会社を支援してきた地元、そもそも最初に会社設立を認可した国、それどころか、その会社自体さえも考慮していない。迅速な現金化のために分割され、解体されてしまう可能性があるのだから。
この株主価値は、「コミュニティシップ」とも呼ぶべきものを犠牲にして、リーダーシップを重視することを企業に求める。すべては英雄的な企業リーダーのリーダーシップにかかっており、より高い株価を追求するよう容赦なく人々を追い立てるには、リーダーに嫌になるほど高額な報酬を支払うことを厭わない。
そのうえ、たとえ大きな利益を計上したとしても、それが市場やアナリストの期待に見合う成果でなければ、その都度、数多くの労働者やマネジャーが解雇される。「ダウンサイジング」と称されているが、これは21世紀における大量虐殺の婉曲的な言い回しである。ダウンサイジングは多くの企業に効果がある治療法とされているが、実際には、企業で働く人の情熱、エンゲージメントを殺いでいる。