逆の例でいえば、電球事業への買収を含む集中的な投資である。当時の電球事業は創業者のエジソン以来の史上シェアナンバー1事業ではあったものの、ほとんど北米市場を相手にしていたため、今後の成長には期待できない典型的な成熟事業であった。しかし、ウェルチは電球事業をさらに強くするために惜しみなく資源を振り向ける。理由は「ナンバー1だから」。
ごく客観的に考えれば、「ナンバー1、ナンバー2」は意思決定の基準として「正しい」とはとうていいえない。事実、振り返ってみれば、ウェルチの「ナンバー1、ナンバー2戦略」には間違いもたくさんあった。例えば通信事業からの撤退がそれである。80年代当時から、コンピューティングとコミュニケーションの融合はメガトレンドとしてその重要性が叫ばれていた。ようするに現在のインターネットである。日本のNECは、当時から「C&C」(コンピューター&コミュニケーション)を標榜しており、その先見性は高く評価されていた。こうした状況にあって、GEの通信事業は、C&Cのトレンドとの関連で不可欠な技術を社内で唯一蓄積していた事業部門であった。当然、撤退には反対する人が多かった。しかし、ウェルチは、例によって「ナンバー1、ナンバー2でないから」といういつもの基準であっさり撤退してしまう。このことが1990年代後半になって現実のものとなったインターネットの技術革新の波にGEが乗り遅れてしまう遠因となった。
教科書的に言えば、選択と集中の基準は「ケースバイケース」であるべきだろう。それは正しい。だから普通の(優れた)CEOは、構造改革に際して「多角的・総合的に判断する」というスタンスをとる。
しかし、である。GEのような巨大かつ複雑、長い歴史を持つ大企業を大きく変えようというのである。そんなに「正しい」ことだけで、組織が動くだろうか。「正しさ」を追求すると、どうしても話が複雑で分かりにくくなる。判断にも実行にも時間がかかる。だから「正しさ」を犠牲にしても、判断と実行の上での「わかりやすさ」を優先する。ここに超現実主義者のジャック・ウェルチの変革リーダーとしての真骨頂がある。
これに対して、普通のCEOは、「優れた人」であるがゆえに、「正しいこと」にこだわり、「間違い」を回避しようとする。「残すべきものを残し、壊すべきものを壊す」というスタンスだ。しかし、そんな悠長なことをいっていては、複雑な大企業の変革はできない。
どんな変革のケースでも、既存の体制や構造に多少なりとも良いところが残っているはずだ。全部が全部を壊さなければならないということは稀である(そんな状態になっていれば、とっくに会社は潰れている)。しかし、さまざまな理由をつけて例外や聖域を設け、そうした「残すべきところ」をちまちまと選り分けてしてしまうと、結局のところ既存の構造を引きずってしまう。
GEのように強固な構造が出来上がっている場合、創造破壊の最初のステップは、「壊しすぎ」くらいでちょうど良い。そして、そのためには、多少の間違いを含んでいたとしても、方針や判断基準は「過剰にシンプル」でちょうど良いのである。