一橋大学大学院 名和高司教授の好評連載の元となった書籍『学習優位の経営』の一部紹介する連載、第5回。

 

トヨタの原点

 そもそも「スマート・リーン」は、圧倒的に強かったときのトヨタの成功方程式そのものでした。

 たとえば、トヨタ生産方式(TPS)は、品質(スマート)とコスト(リーン)を二律背反ではなく相乗関数と捉えなおすことによって生み出された、古典的なスマート・リーン型事業モデルです。TPSが自動車業界を超えて学ばれ、ベストプラクティスとして世界中に広まっていった事実が、スマート・リーン・モデルの本質的な強みを物語っています。

 トヨタは、マーケティングにおいても、「Value for Money」を基軸として、カローラやビッツなどのボリューム・ゾーンのクルマを世に送り出してきました。また、レクサスがアメリカの高級車市場に参入する際には、商品レベルのみならず、販売やサービスまでのバリューチェーン全体を質が高く無駄のない仕組みで提供することにより、次世代の成功を目指す層の潜在需要を大きく立ち上げることに成功しました。まさに、スマート・リーン型マーケティングの典型例です。

 トヨタ発のイノベーションといえば、「プリウス」を真っ先に思い浮かべる読者も多いでしょう。ハイブリッド技術の革新性が注目されがちですが、プリウスの成功の本質は、技術イノベーションにあるのではありません。他の自動車メーカーは、市場性が不透明でコスト高なハイブリッド車の開発に二の足を踏んでいたのに対して、トヨタの経営陣は、環境にやさしく燃費性能のよい自動車が次世代の価値軸になることを確信して、実車開発に邁進しました。当初は他社が懸念したとおり、低い販売台数と割高なコスト構造が収益に重くのしかかりましたが、社会全体の環境意識の高まりや政府の補助金や減税なども追い風となり、空前のヒット商品となったことでコストカーブを予想以上に早く下げることができたのです。

 ここでも、既存事業で圧倒的な競争力を誇っていたトヨタが、高いコスト構造から出発して、破壊的なイノベーションを仕掛けて成功したことは、クリステンセン理論では説明できません。これもまた、市場の進化に対する正しい洞察に基づいたスマート・リーン・モデルの勝利といえるでしょう。

 その「世界最強」だったはずのトヨタが、今回の景気後退局面では、大きくつまずいてしまいました。しかし、それはスマート・リーン・モデルの限界を示唆するものではありません。むしろ、世界制覇に向けて成長を加速する中でスマート・リーン・モデルから逸脱していったことが、トヨタの根本的な敗因であったことは序章でも触れたとおりです。

 豊田章男新社長は、「顧客が本当に求めている価値のある商品を、顧客の値頃感に合わせて提供する」ことを起死回生の基軸としています。まさに、トヨタ本来の強みへの原点回帰です。景気後退局面を迎えた今こそ「スマート・リーン」の本質に立ち返ろうとする姿勢は、多くの日本企業にとっても参考になるでしょう。