「力」(パワー)という言葉はこれまで、限られた者しか手にできない権力や能力、特権を意味していた。しかしソーシャル時代の到来によって、「力」や影響力のあり方が根本的に変化している。個人と社会における真の力を再考することで、新たな未来が見えてくるかもしれない。本誌2014年1月号(2013年12月10日発売)の特集「人を動かす力」関連記事、第9回。


 あなたがオンラインのメディアに投稿したとしよう。人々はその記事を読み始める前に、あなたがジャーナリズムの学位を持っているかなどチェックしない。地震に遭って、危険か安全かを報告しようとウシャヒディ(Ushahidi:災害情報などを共有できるサイト)に情報を流す際に、あなたの信頼性は問われない。新たに企業を立ち上げたいと思ったら、ただそのアイデアを実行すればよい。クラウドファンディングのキックスターターやインディゴーゴーを通じて、資金を集めることが可能だ。

「力」を得る方法は、変わったのだ。

 いや、本当に変わったのだろうか?

 私たちの文化で重んじられているのは、将来に備え、成功するために正しいことをやり、より多くの成果を上げることだ。それは教育から始まる。大学卒業後よい仕事に就くために、よい大学へ行き、そのためにはよい高校に行く必要がある。見栄えのよい肩書きや一流組織への所属も、私たちの文化では称賛される。欧米人が初めて会った相手に最初に聞く質問にも、それははっきりと表れている――「それで、どちらの方ですか?」。まるで、肩書きや所属先によってその人のアイデアの価値が決まるかのようだ。

 大物ベンチャーキャピタリストは誇らしげに、成功の「パターン認識」について語る。出資相手としてふさわしい人物の典型は、スタンフォード大学卒の23歳の男性であるという。彼らは女性や有色人種、あるいはもっと多様な人生経験を積んだ人々より有望であることを、データが示しているというのだ。一方で、人々が創造性を発揮しイノベーションを成し遂げるピークは、人生の後半に訪れる、という研究結果もある。

 結局、どちらなのだろう――力のあり方は変わったのか、そうでないのか。今日における力の定義に関する2つの議論を挙げながら、このテーマについて掘り下げていこうと思う。