前編ではデザイン・リサーチの特徴について話を聞いた。後編の今回は、実際にデザイン・リサーチをどのように進めているのか、またデザインするうえで必要となることは何か、話を伺った。行動観察のプロが明かす、そのリサーチ方法とは。
 

フローの状態をつくりだす即席スタジオ

――具体的にはどのようにリサーチを行っているのでしょうか。  

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Jan Chipchase(ヤン・チップチェイス)
デザイン・コンサルティング・ファームfrogのグローバル市場調査・分析部門で、エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターを務める。ノキアの主任科学研究員を経て現職。これまで日本、中国、アフガニスタン、ウガンダ、ブラジルなど世界50カ国以上でリサーチを行ってきた。また、これまで米国のスタンフォードやマサチューセッツ工科大学(MIT)、英国の王立美術大学、インドの国立デザイン研究所などで教鞭をとってきた。2011年にはファスト・カンパニー誌の「ビジネス界でもっともクリエイティブな100人」に選出。2014年にはデザインブランド「Studio D Radiodurans」を発足。日本に10年間滞在した経験を持ち、日本人の妻とアメリカに在住。主著に『サイレント・ニーズ――ありふれた日常に潜む巨大なビジネスチャンスを探る 』(英治出版、2014年)

 リサーチの方法はいろいろありますが、この10年ほどは即席スタジオを使っています。即席スタジオとはリサーチ・チームの人間が現地の人とともに生活するための空間です。そこで通常10日間ほど、約8人が一緒に生活するのです。同じボトルから飲み、同じ皿から食べ、同じトイレで用を足す。そうやって得た信頼関係は、海外のコンサルタントを連れてきて高級ホテルに泊めるやり方では得られませんし、得られるデータの質も変わります。
 ただし即席スタジオでは一切の雑事にとらわれずに、やるべき課題に100%没頭するための環境、すなわちフローの状態をつくることが肝要です。完璧にするのは非常に困難ですが、フローの状態が構築できれば生産性は非常に上がるのです。そのために、空調設備や衛星アンテナ、モバイル・オフィス、プリンターといった室内インフラはもとより、調理師や清掃人、運転手までも用意しますので、多大な投資も必要となります。
 ミャンマーの即席スタジオでは、毎日配達されるパンや、新鮮な牛乳とヨーグルトと一緒に、皆でミューズリー(シリアルの一種)をつくるという「儀式」があります。手軽に食べられる美味しいものを、皆で一緒に楽しくつくることで、チームとしての結束力を高めることができるのです。簡単に皆が喜べる成果物ができあがる点で、この「儀式」は非常に有効です。
 また、リサーチを行うにあたっては、倫理的な問題にも直面します。同じ会社で働いている人間が同じ倫理観を持つことは比較的容易ですが、国際的なチーム、それも短期的な関係のなかで同一の倫理観を持つのは難しいことです。即席スタジオは、一緒に生活することで倫理観の共有がスピーディにできるという長所をもっています。毎日お互いの行動を見ているのですから、ロビーでオリエンテーションを行うよりもはるかに効果的です。
 ここまで整っていると、まさに完璧なホリデー・ロマンスといえる状況です。実際にはホリデーでもロマンスでもありませんが(笑)。しかし、こうした空間で集中していると、1日12時間とか16時間とか仕事をしていても辛いと思わないで済むのです。科学と芸術が融合した空間と言えるでしょう。

――非常にユニークなリサーチ空間ですね。実際にリサーチを行う人はどういう人でしょうか。

 典型的なチーム編成は、デザイン・リサーチの担当者、ユーザー・エクスペリエンスの担当者、ストラテジスト、グラフィック・デザイナー、ドメイン・エキスパートといった構成です。先ほど申し上げた通り、センス・メーキングを行ううえでもチームにおける多様性は重要な要素です。またクライアントにチームに入ってもらうこともあります。
 最も効率性の高いチームは、即席スタジオで毎日「いままで何を学んだか」「これから何を学ぶべきか」を話し合い、それに従ってプロジェクトを進めていくチームです。そのため、場合によっては事前のリサーチ・プラン通りには進まないこともあります。我々は、絶対的に正しいものができるという確信をもってプロジェクトを推進していますが、進捗を心配するクライアントとの信頼関係を構築するには、クライアントにも当事者として参加してもらうのが一番よいのです。

 こうしてつくられたチームには2つの原則があります。第1の原則は、オブザーバーにならないということです。たとえメンバーがCEOであっても、仕事は一緒にやるということ。そして第2の原則は、アップサイド・ダウン(さかさま)のルールです。シンプルなルールですが、いわゆるチーム内の力関係や年齢の差といった条件を排除するためのものです。たとえば一番年若な人から好きな部屋を選ぶことができるようにします。そうすると、若者が1人部屋で、年長者は相部屋、最年長者になると部屋がなくてソファで寝たり、会議室に寝泊まりする状況も生まれます。「常識にとらわれない思考 (Thinking out of the box)」を実現するには、こうした現実をつくりだすことも必要です。もちろん、文化的背景によってはこうしたアプローチを拒絶する方もいらっしゃいます。しかしながら、実際にやればこの利点はよく理解してもらえることは、経験的に実証済みです。