私の同僚でロシア出身のイーゴリ・アガポフも、初めてアメリカを訪れた時、桃の固い種に突き当たって驚いた経験を持つ。「ニューヨークまで9時間のフライトで、知らないアメリカ人の隣に座ったんだけど、すごく個人的な質問をしてくるんだよ。アメリカへ行くのは初めてかとか、ロシアでは何をしているのかとか、こんなに長く子どもたちに会わなかったことがあるか、とか。彼もまた、非常に個人的なことを話すんだ。自分はベース奏者で、フロリダにいる奥さんは赤ん坊が生まれたばかりだから、自分の出張が多くて大変な思いをさせている、とかね」
アガポフはこれに対して、ロシア人としては異例な対応をした。ごく短時間のうちに特別な友好関係を築くことができたと考え、自分の個人的な話をしたのである。しかし、その結末は残念なものだった。「こんなに親しくなれたんだから、てっきり長い付き合いになると思ったんだ。飛行機が着陸して、電話番号を書いて渡そうと紙を探していたら、驚いたよ。この新しい友人君は立ち上がって手を振ると、『会えて嬉しかった。よい旅を!』だって。それでジ・エンド、彼とはそれが最後だった。友人関係を続ける気などさらさらないくせに、何か魂胆があって僕をそそのかして、心を開くように仕向けたんじゃないかと感じたよ」
最初から警戒心をつのらせるココナッツもいる。ミネソタ州の私の家族を訪れたあるフランス人女性は、アメリカ中西部の桃文化に接して面食らった。「ここのウェイターはいつも笑いかけてきて、調子はどうですかと尋ねるんです。私を知らないのに。なんだか落ち着かないし、信用できない感じ。どういう魂胆があるんでしょう。だからいつもハンドバッグを握りしめるんです」
一方、桃文化の出身である私は、14年前にヨーロッパで暮らし始めた時、同じように面食らったことがある。人とにこやかに接し、個人的なことを話題にする私に対して、新しい同僚となったポーランド人やフランス人、ドイツ人、ロシア人たちは冷たく堅苦しい態度を取ったのである。私にとってその無表情さは、傲慢で気取っているように見え、敵意さえ感じてしまった。
私のように、ココナッツのなかに飛び込んでしまった桃はどうすればよいのだろうか。自分らしくあるのが一番だ。自分以外のだれかの真似をしても、けっしてうまくはいかない。だから、臆せずに好きなだけ微笑みかけ、好きなだけ自分や家族の話をして構わない。ただし、相手が切り出さない限り、こちらから個人的な質問はしてはいけない。
そしてあなたがココナッツである場合は、桃文化の出身者が「調子はどう?」などと聞いてきたり、家族の写真を見せたり、バーベキューに誘ってきたりしても、それを親しい友人関係の始まりだと考えてはいけない。ただし腹に一物持っているのではないかと疑ったりしないでほしい。それは異なる文化的規範の表れであり、適応しなくてはならないものなのだ。
HBR.ORG原文:One Reason Cross-Cultural Small Talk Is So Tricky May 30, 2014
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エリン・メイヤー(Erin Meyer)
INSEADの客員教授。異文化マネジメントに焦点を当てた組織行動学を専門とする。同校で企業幹部向けプログラムのディレクターを務める。