工業では、子どもは何を残されたのか分からない
石倉 加藤さんご自身のことも教えてください。これまでの経歴を拝見すると私立中学をやめたり、一貫校の慶應から東大をめざしたり、ロンドンで研究していたかと思うとNASAに行き、東京で勤めたかと思うと夫の実家の静岡に移り、機械会社でエンジニアをしていたと思ったらエムスクエア・ラボを起ち上げたり、とかなりめまぐるしいように見えるのですが。良い話があるとそれまでやっておられたことにこだわらず、どんどん一人でパッ、パツと行動している感じで、誰かと相談したようにも思えないのですが。そういう性格ですか(笑)
加藤 普通ならば、「ここまでやってきたのだから」と、これまでの活動に引きずられるのかもしれませんが、私は、勿体ないとはまったく思わないのです。ただ、過去の経験が今に凝縮している実感は常にありました。エムスクエア・ラボにしてもエンジニアとしての経験が農業との関わりでも生きています。
石倉 起業の経緯を拝見すると、「エンジニアの経験を生かしつつ、より子どもたちの生活や暮らしに直結したビジネスを手がけたかった」とありますが、どんどん自分で決めてしまう加藤さんの性格からすると本当なのか、と失礼ながら思いましたが(笑)
加藤 ばれましたか(笑)。ただ、親として子どもに何を残せるのかを考えてみると、工業の世界にいるのでは、私が何をしているのか、子どもには見えません。しかし農業ならば、身近にある商品が変化していくことを見せることができますし、商品を残すこともできます。自分のいいところを見せたいという母親としてのエゴではあるのですが、子どもたちに、「今のママの仕事は?」と尋ねると、「美味しいか美味しくないかを究める仕事でしょ」とお腹にストンと落ちています。子どもが、私の仕事や活動を不安に思っていないんです。ですから私が落ち込んでいたりすると、「ママは諦めない、と言ってたでしょ」と逆襲され、「すみません。頑張ります」と。
石倉 今お子さんに見える仕事、残せる商品とおっしゃったのですが、加藤さんは、なぜ農業そのものではなく農業のシンクタンク、コンサルタントの仕事をしようと思われたのですか。
加藤 私は母親もやりたかったので、育児をしながら女性一人で農業そのものをやるのは物理的に無理だと思いました。海パン父さんではないのですが、不意の天候不順などに対応する必要があるので、母親でもありたいと思いながら仕事をするのでは農業は無理です。でも、子どもたちに見えていて、腑に落ちて、何かを残せるような仕事はしたかったので、農業のシンクタンクを目指したのです。
石倉 お子さんに見える仕事ということでしたが、最近、子供は自分たちが食べる食品がどう作られているのか、ほとんど知らないといわれています。そこで、「食育」が脚光を浴びているのですが、たとえば子供の教育と食を橋渡しするような仕事へのご関心はありますか。
加藤 本当にそうなりたいですね。例えば中学校まで学校給食を無料にするには全国で3000億円ほどの費用がかかります。子ども手当などを止めて、栄養バランスなどはほとんど考えていない家庭の子どもでも、1日1回、学校で食べる昼食だけは栄養バランスの良い食事を取れるようにすれば、子どもたちの精神安定にどれだけ資するか分かりません。こうした取り組みは、その地域の生産物をその地域で消費するという地産地消にもつながっていくのだと思います。
石倉 アメリカでも、貧しい子どもたちに朝食を配る活動がありますし、アフリカなどでも学校で給食を提供すると、子供がそのために学校に来る、そして教育にも貢献するという取り組みなど、教育の基盤としての「食」を確保しようという取り組みはかなりあるようです。
加藤 食べることは人間の基本です。多動性障害は、糖分の取り過ぎに原因があるという研究報告もあります。ベジプロバイダーの活動で、ある外食レストランのシェフとお客さまが生産者を訪ね、一緒にバーベキューをしたことがあります。農家も喜び、店のファンも増やせる。子どもたちは、自分が食べている野菜ができる様子をしっかり自分の目で確認することができるので、食への関心が高まります。
石倉 食を中心にしたコミュティづくりですね。
加藤 ベジプロバイダーの仕事は、結局、お金で売り買いする野菜の「取り引き」を、生産者と購買者、そしてそれを食べる人たちががっちりと手を組む「取り組み」に変えようとしています。そうでないと、輸入に頼る、国産の青果物を食べられない時代がきてしまいます。
食べることは人間の生命の基本ですし、農業はすごく幅が広い、懐の深い産業だと思うのです。「農業×職」は雇用の確保にもつながりますし、「農業×観光」、「農業×健康」「農業×教育」、さらに「農業×工業」と、農業といろいろなものを組み合わせると限りない可能性が拓かれるのです。
個人的には子育てにおける農業の意味を凄く大事に思っているので、小学校3年生ぐらいまでは畑づくりの手伝いをさせ、そこで感じた疑問を学問として学んでいけば、優秀な子どもを育てられると思っています。そのためにこそ持続可能な農業が必要なのです。これだけ重要な基盤をなす農業がコケてしまったら、教育、雇用、健康、産業など国の大前提もコケてしまうような気がしています。
石倉 農業を社会全体の基盤という広い視野からとらえておられる加藤さんの問題提起、日本の農業の特性をいかしたグローバル展開など、これまでの内向き、守りの農業とはまったく違ったアプローチは、農業に限らないと思います。本日は楽しいお話をありがとうございました。
【対談を終えて】
加藤さんとは昨年秋に開かれたフォーラムのパネルでお目にかかりました。その後、ブログや各種の記事を読んで、「なるほど」と思うことが多かったので、今回ぜひとお願いして登場していただきました。
今回の対談のために今までの記事などを読み返したのですが、時々日本で見られる深刻さや悲壮感がまったくなく(実はいろいろな苦労をされているのですが)、とても軽やかに、自分のやりたいことをやっていらっしゃると感じました。
「現場」の大切さ、野菜が育っていくプロセスを見ること、ITや人を通じて、それまでは接点のなかった人たちをつなぎ、より大きな付加価値をつくること、などのお話はとても興味深いものでした。さらに私の印象に残ったのは、こうしたお話の背後に、全体観をもつ、流れや時間軸を重視する、人でも活動でも局所ではなくグローバル、かつ継続する仕組みをつくって変化を起こす、誰でもわかるような形で進めていく、などエンジニア(私はエンジニアでないので想像ですが)の特性を、農業という分野で実践しておられることです。
エムスクエア・ラボをする中での新しい発見、ビジネスをしていく上でのヒント、(難しい意味でなく当たり前に考えて)こうあればよいということを追っていく中で、気が付くハードルを一つひとつクリアしていくという姿勢もエンジニアなのかなあ、と思いました。
農業は、地域ベースであり、日本は南北に長いのでいろいろな野菜ができること、そこでそれぞれのユニークさを集めて、世界につながるジャパン・ブランドにすることができそうなこと、農業は女性が中心になって起業するニッチで収入が確保できるポテンシャルがたくさんありそう、というお話も、これまでの「農業」のイメージを打ち破るものでした。
子どもへの働きかけーたとえば子供手当てを使って、給食を無料にする、米を使うアイデア、食べ物は料理している所からのにおいなどプロセス全体を経験することが大事など、とても興味深いものでした。
加藤さんのやっておられる活動をより大きく、そして世界に広げていくことができそうです。