国際宇宙ステーション(ISS)最大の実験棟「きぼう」をはじめ、日本の宇宙事業は、日々、発展を遂げている。その裏には、宇宙飛行士の活躍はもちろん、彼らを支えるスタッフの存在がある。本連載では、日本の宇宙事業を支える宇宙航空研究開発機構(JAXA)のチームワークに迫る。
第1回〜第3回は、自衛隊出身者初の宇宙飛行士として話題を呼ぶ、宇宙飛行士の油井亀美也氏が登場。一度は諦めていた宇宙飛行士への道。その扉を開いたのは、レンタルビデオ店でたまたま手に取った1本の映画、そして妻が持ってきてくれた募集要項だった。(構成/新田匡央)
自衛隊の道を選び、宇宙飛行士は諦めていた
――自衛隊のテスト・パイロットを経て宇宙飛行士になった初めてのケースとして、油井さんの経歴は大きな話題を呼びました。いつから宇宙飛行士を目指していたのでしょうか。
油井亀美也(以下略) 私の田舎は非常に星がきれいなところです。小学生のころから、よく天体望遠鏡で星を眺めていました、そのときから、できれば星に関連する仕事に就きたい、宇宙飛行士や天文学者になりたいと思っていました。

JAXA宇宙飛行士
1970年、長野県生まれ。1992年、防衛大学校理工学専攻卒業後、防衛庁(現防衛省)航空自衛隊入隊。2008年、防衛省航空幕僚監部に所属。2009年、宇宙航空研究開発機構(JAXA)より国際宇宙ステーション(ISS)に搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者として選抜され、同年、JAXA入社。2011年にISS搭乗宇宙飛行士として認定され、2012年10月、ISS第44次/第45次長期滞在クルーのフライトエンジニアに任命された。
PHOTOGRAPHY: JAXA
1980年、無人惑星探査機ボイジャーが土星に最接近し、非常に解像度の高い土星の写真を撮ることに成功しています。また、1981年には、スペースシャトル・コロンビア号が初めて宇宙空間に到達しました。私が小学校高学年の時、宇宙に関する大きなニュースを見たことも、宇宙飛行士に対する思いが深まる要因になったと思います。
中学、高校と時間が経っても、宇宙に関連する仕事に就きたいという思いは持ち続けていましたが、家族と進路を相談するなかで、自衛隊で働くことを決めました。防衛大学校は自衛隊の幹部養成学校ですから、自衛隊に入隊するのが基本です。当時は、自衛隊から宇宙飛行士になったという話も聞いたことがありませんでした。
自分で選択した道ではありますが、入学したばかりのころは、まだ自分の進路に悩んでいました。そんなとき、4年生の先輩から助言をもらい、自衛隊で働く決心を固めることができました。
――その先輩からは、どんな言葉をかけてもらったのですか。
彼は「気持ちはわかる。だからといって何もしなければ、おまえが望む道はどんどん遠のいていくんじゃないのか。将来のことはわからないけど、目の前のすべきことを一所懸命に頑張っていれば、自分も気がつかないところで道は広がっていくはずだよ」、と。
いま思い返しても、大学4年生とは思えない大人の対応ですよね。防衛大学校は全寮制です。親元を離れて、厳しい規則の中で過酷な訓練に取り組むので、人間としての成長が早いのかもしれません。尊敬する先輩が言うのならそういうものなのかなと思い、やる気を取り戻しました。
ただ、自衛隊員になってからも進路への迷いが完全には消えず、テスト・パイロットの道を選ぶときにも悩んでいます。私には、自衛隊の職務の中で、パイロット以外にもいくつかやりたいことがありました。宇宙飛行士になれないのであれば、せめて宇宙、星、あるいは空に関連する仕事に就きたいと思い、気象の研究をしようと本気で考えた時期があったんですよ。
そうしてパイロットになるという選択肢を外そうと決意したとき、当時の教官がこう助言してくれました。「おまえはパイロットとしての適性もあるし、希望すればなることもできる。過酷な仕事だが、チャレンジもせずに諦めるのはもったいない」。その言葉に心を動かされて、進路希望を書き換えてパイロットを目指しました。先輩や教官の助言がなかったら、いまごろどうなっていたかわかりません(笑)。