米国で長年暮らしているドイツ人のイェンス・フーペルトは、インタビューで私とは正反対の経験を語ってくれた。「米国でアメリカ人の同僚たちにプレゼンする時、私はドイツで学んだとおりに、結論の根拠を最初に説明していました。パラメータを設定し、データと方法論をざっと説明したのちに、主張を展開していたのです」。だがアメリカ人の上司の忠告に、彼は面食らう。「次回のプレゼンでは、まず要点から入るように。重要な部分を先に説明しないと、聞き手の関心を逃してしまうよ」。イェンスは心のなかでつぶやいた――「パラメータの定義もしないで、結論を示すなんてありえない」
たいていの人は、演繹的な思考と帰納的な思考の両方を実践できる。しかし個人の習慣的な思考パターンは、自文化の教育制度が重視する思考法に大きく影響されている。
教育制度は文化によって異なるが、その背景の1つに、人々の知的生活のあり方に影響を与えた哲学者たちの存在がある。帰納法を最初に明確に説明したのは古代ギリシャの哲学者アリストテレスとされているが、この方法論を一般に広めたのは、13世紀のロジャー・ベーコンや16世紀のフランシス・ベーコンなどのイギリスの思想家たちであった。帰納法では、実世界における個々の事象の観察結果からパターンを見出し、一般的な結論を導く。
たとえば、あなたが私の地元ミネソタを毎年1月に訪れているとして、毎回気温が零度をはるかに下回っていたら、「ミネソタの冬は寒い」という結論に達するだろう。実世界の個々の事象を観察したのち、経験から得られた観察結果に基づいて、大局的な結論を導いたのである。フランシス・ベーコンはイギリス人であるが、後世ではパイオニア精神に富んだアメリカ人のほうが、イギリス人よりもはるかに観察結果重視の思考をするようになった。
一方ヨーロッパ大陸では、哲学は演繹的な思考法につき動かされるところが大きかった。17世紀にフランスのルネ・デカルトが提唱した演繹法では、科学者はまず仮説を立てたのち、それを立証または反証するエビデンスを求める。
たとえば、最初に「すべての人間は死ぬ運命にある」という一般原則を置く。次に、「ジャスティン・ビーバーは人間である」という事実を提示すると、「ジャスティン・ビーバーはいつかは死ぬ」という結論に達する。一般原則から入って論理を進め、実際的な結論を導く思考法だ。19世紀にドイツのフリードリヒ・ヘーゲルが提唱した弁証法は演繹的な思考に基づくもので、これが南欧やドイツ語圏の国々の学校で主流となっている。ヘーゲルの弁証法では、「命題(テーゼ)」、つまり基盤となる論理をまず掲げ、これを否定する「反対命題(アンチテーゼ)」を立てる。そして2つの命題から「統合命題(ジンテーゼ)」が導かれる。