文化財修復の老舗の経営を引き受けた理由

石倉 アトキンソンさんは、ソロモンの後ゴールドマン・サックスに移られ、42歳でゴールドマンも辞められました。軽井沢の別荘の隣家が小西美術工藝の先代社長の家で、近所付き合いをしているうちに「経営を見てもらえないか」と打診されたそうですね。

アトキンソン 裏千家に入門して茶道をしていましたので、日本の古い文化財に興味がありました。小西さんに修復の現場なども見せてもらい、経営をお引き受けしてもよいかなと思うようになり、2010年5月に会長、そして11年4月から社長を兼務しています。ただし、社長でなければお引き受けしませんでした。

石倉 なぜですか。

アトキンソン 私が日本企業で最も嫌いなのは、会議が長いことより会議で決めたことを実行しないことでした。だからソフトランディングなどと言って決定をごまかし、形式的なものにしてしまう。根本的な部分に取り組もうとしない習癖は、日本という国の「ガン」です。企業も同じ。決定事項を実行しない企業で働くのは、自分の人生を無駄にすることだと思ったのです。

石倉 決めたことを実行しない企業は実に多いですね。

アトキンソン 文化財の世界も、理想と現実に大きな隔たりがありました。たとえば、漆塗りの修復は日本産の漆でやるべきなのに、同じ漆だからといって価格の安い中国産を使う。そのほうが儲けも大きいわけですが、中国産を使っていることがバレて問題になると、中国産を標準にしてしまうのです。金箔も同様で、1枚ずつ和紙で挟み込んで叩いて薄くするのが正しいやり方なのに、そんな手間をかけず薄くできて儲けも増えるシリコンを使う方法が多用される。こうなると、本来技で競うべき文化財の修復が、コスト競争になってしまいます。それは、文化財の保全状態を維持して後世に残すという目的を見失うことです。しかし誰もそれを指摘しない。
 私は自分の人生を無駄にしたくないし、その場しのぎ的な人生を送りたくないので、経営をするならば、自らが決定したことを実行できる力が必要だと考えました。実際、そうでなければ現状を変えるのは難しい。だから社長でなければ引き受けないと申し出たのです。

石倉 お気持ちと決意はよくわかります。しかし、現場では抵抗もあるのでは? これまで通りで何が悪いのだ、とか。

アトキンソン ありますよ。昨日も職人さんから「周りの会社の人たちは何も変えないのに、自分たちだけ上のレベルをめざして苦労するのは損じゃないか」と言われました。でもそれって変ですよね。なんで下のレベルのことを気にするんですかね。だからこう言いましたよ。「上のレベルは気にして当然ですけど、下のレベルをあなたが気にする必要があるんですか。下なんか放っておいて、自分の力をどこまで出せるかに専念したほうがいいですよ」。
 こういうこともありました。デタラメな仕事をしている人が、「社長が勝手にそう言っているだけじゃないの」と言うので、「あなたの息子さんをここに連れて来てください。息子に向かって、『この仕事を見てお前の父親を誇りに思え。ここまで人を騙してデタラメな仕事ができる、この図々しい父を誇りに思え』と息子に言いなさい。もちろん私の前で」と言ったら、翌日からいい仕事をしてくれるようになりました(笑)。

石倉 数ある文化財でも特に力を注いておられる仕事はどれですか。

アトキンソン やはり日光東照宮、特に陽明門の仕事です。最高レベルの技術と多額の資金が投入されるし、別格といえます。その理由は3つあります。1つは、やはり神様に捧げる仕事なので、人間の損得で考えてはいけない仕事だからです。2つ目は、仕事すべてが次の世代に対する「挑発」であることです。何十年か後に劣化した部分の修復作業が始まった時、「こんなすごい仕事をしていたのか」と未来の職人を挑発する。それが最高レベルの技術を継承することにつながります。3つ目は、職人のプライドです。全力を投入した仕事への満足感が、参拝客や家族に向けた自尊心の礎となり、職人の生き方そのものとなります。