以前と比べ、夏休みを分散して取る企業が増えた。社員が自由に休めるメリットがある一方、「休みを取るのが憚られる」現象もみられる。周囲に配慮する気持ちは大事だが、遠慮し合う文化は誰も得をしない。この現象を変えるには、何をすべきか。
仕事の出来る人の定義を変える
以前と比べ夏休みを一斉に休む会社が減ったように思われます。その一方で、一定期間中に各社員が好きな日を選んで休みを取る、という制度の会社が増えているようです。
このメリットは社員が自由に休めることですが、一方のデメリットは、職場の中で休みの申告をしずらいことでしょう。遠慮か配慮か、あるいは慮る行為が先行してしまう日本人にありがちな、「休みを取るのが憚れる現象」があります。
「休みを取りづらい」。この現象を変えるには、「仕事の出来る人」の概念を変える必要があります。「仕事を一生懸命やっている人」=「仕事の出来る人」と思われがちです。しかし、極論すると一生懸命やっていなくても、仕事の出来る人がいます。一生懸命やっていても成果の出ていない人もいます。一生懸命やったほうが成果が出やすいのは確かですが、これを同一視してしまうのは危険すぎます。
また「長時間頑張っている人」=「仕事を一生懸命している人」という思い込みがあればさらに危険です。労働時間が一生懸命の尺度になってしまうと、「質」の議論ができなくなります。仕事は成果で問われるもの。そして成果を出すには、量と質の掛け算で決まる。質を高めれば、少ない量で大きな成果を出せますが、量には限りがあるので、量を増やして成果を高めるには上限があります。
「仕事の出来る人」は仕事で成果を出せる人、という当たり前の定義が定着しないかぎり、「休みを取るのが憚られる」現象はなかなか変わらないでしょう。
そしてこの現象をもっと身近なところから変える方法もあります。