世界的ロックバンドのリンキン・パークは、音楽ビジネスの破壊的変化にどう対応したのか。業界外部から変革の推進役を雇い入れ、さらにはHBSの助けを借りて事例調査と戦略策定に及んだ。その結果はいかに?

 

 このご時世、ミュージシャンはどのように稼いでいるのだろう。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事によれば、2014年の米国iTunesストアでのアルバムの売上げは14%減、シングルのダウンロードは11%減、ストリーミングサービスだけが好調の28%増である。テクノロジーの進化によって、音楽アーティストたちはビジネスの手法を根本から再考せざるを得なくなっている。変化に適応しなければならないのだ。

 この新たな環境で最も成功しているアーティストたち(テイラー・スウィフトなど)は、これまで築いてきたブランドを強化するために、新たなビジネスモデル、新たな業界に目を向け始めている。テクノロジー、ゲーム、ファッション、ライフスタイル・コンテンツなどの領域へと自身のブランドを拡張し、実質的に「エンターテイメント・プラットフォーム」になりつつある。

 オルタナティブ・ロックバンドのリンキン・パークが100%所有するイノベーション企業、マシーン・ショップは、数年前に考え方を変える必要があると気づいた。マシーン・ショップは1999年、ドラムスのロブ・ボードンのリビングルームで誕生した。リンキン・パークの曲がラジオで流れ始めるはるか以前、バンドメンバーがその部屋に集まり、最初期のファンたちに配送するCDとステッカーを箱に詰めていたのが当社の始まりだ。バンドは自主製作によるファーストアルバムを配り、ネット上のフォーラムやチャットルームでクチコミを広め、コミュニティを形成した(これはフェイスブックとツイッターがソーシャルメディアを一変させる数年前の話だ)。

 当時はバンドのインターンで現在はマシーン・ショップの最高戦略責任者であるジェシカ・スクラーは、オンラインでのディスカッションをオフ会やコンサートでのイベントへと発展させ、現在の「リンキン・パーク・アンダーグラウンド」の前身を築いていった。このファンクラブのおかげで、バンドは直接的な関係の重要性を深く理解するようになった。今日、リンキン・パークはフェイスブック上で最大のバンドの1つであり、世界中に6,300万人以上のファンを抱えている。なかでも日本、インド、ブラジル、中国、ドイツ(そして、もちろんアメリカ)で特に人気を博している。

 10年余りにわたって、リンキン・パークとマシーン・ショップは成功を享受し革新的であり続けた。バンドは定期的に新しいアルバムを出し、ビデオゲーム、アート、ビデオコンテンツを含むさまざまな分野で実験を試みた。マシーン・ショップは他のバンドや映画スタジオ、テレビ局、さまざまなブランドに対しても自社のグラスルーツ・マーケティングの手法をサービスとして提供し始めた。

 だが2013年に入る頃には、リンキン・パークとマシーン・ショップはある現実への対処を迫られる。デジタル音楽がビジネスを劇的に変えてしまったのだ(最初にダウンロード、それからストリーミング)。そこで彼らは次の10年に向けた準備を開始した。