状況が悪人をつくるなら、状況が善人もつくり出す

 本書で細部にまでわたって実験の様子が描かれています。どのように囚人役と看守役を選んだか、どのような事態を想定して実験を始めたか、事件開始後にどの囚人役の学生がいつどのような反応を示し、それに対し、どの看守役がどんな対処をしたか、その結果何が起こったのか。まるで自分がその場に参加しているかのように時系列で物語は進んでいきます。

 著者であるジンバルドーの当初の関心は、「囚人役」を与えられた学生の変化でした。犯罪を犯したという役割を与えられ自由を奪われると、人はどのような行動を起こし、心理的な変化が見られるか。ところが実験が始まってすぐにわかったのは、看守役の変化でした。権力を手にした学生たちは、アルバイトとして囚人役を演じているのに過ぎないのに、アルバイトとして囚人役を担当しているだけの学生に、言葉にするのもはばかれるような残忍な行為を繰り返したのです。

 この実験から得られた教訓は、人間は状況の力やシステムによって、かように変貌してしまうというものです。本書の副題「ふつうの人が悪魔に変わるとき」が雄弁に物語っています。個々に着目すると善良な人であっても、ある状況や場の空気、あるいは組織やコミュニティの力で、本来やらないような醜い行為や言動をする。このような例は、いまの社会のいたるところで見られるのではないでしょうか。ブラック企業と言われる居酒屋で、アルバイトに罵詈雑言を投げかける店長も、その人の人間性がそうさせるのか、その人が組織から担った店長という役割がその行動を生み出すのか。

 法治社会では問題の責任を最終的には個人に負わせる仕組みですが、個人を裁いても本質的な課題はなくならないケースがあります。人の悪い行いに対し、その人が置かれた環境でどのような状況の力やシステムがどう作用したのか。環境をどう変えればいいのか。これを認識することで、問題解決の打ち手はさらに広がります。

 監獄実験の経緯は悲惨で、そこから得られた「人は状況の力によって悪魔に変わる」という帰結は、人間という生き物の弱さを浮き彫りにする結果となりました。しかし、ここから学ぶべきは、置かれた環境を改善することで、一人ひとりでは弱い人間の集まりでも、正しいことを実践する集団や社会に代わりうるということです。

 状況の力を変えることで、人は変わることができる。組織のリーダー的立場の人はとりわけ、この状況の力を認識することが大事でしょう。さらに言えば、リーダーではなくてもだれもが、自分の属する環境が及ぼす作用の力を変えることができるのです。状況の力を通して「だれもが勇気ある善人に変わりうる社会」を我々はつくることができる。これは希望につながる1冊です。(編集長・岩佐文夫)