米アマゾンの過酷な職場風土を報じた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事は、大きな驚きと賛否を呼んだ。ハーバード大学ロースクールのキャス・サンスティーン教授は、同社のある側面に対して“賛”を唱えた。集団の調和を抑制することは、優れた慣行であると指摘する。

 

 私が米政府の仕事に就いていた頃、メディア報道の事実誤認の多さに驚かされてきた。広く読まれた記事でも、一流の新聞でも例外ではなかった。2009年、同僚の1人で筋金入りの民主党員はいみじくもこう言った。「いまになって思えば、自分がブッシュ政権に対して気に食わなかったことの少なくとも半数は、事実ではなかった」と。

 私がこのエピソードを述べたのは、アマゾンに関する『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を読んだからだ(英語記事)。同社の社風が過酷であるらしい特徴を詳述したその内容は、大いに割り引いて受け止める必要がある。だが、記事に多くの誤認がある可能性、そして過酷な社風であるとの疑惑は、ひとまず脇へ置くとしよう。それでもアマゾンのやり方は、大小あらゆる企業にとって、グループでの意思決定方法を考えるうえで不可欠な指針となるのだ。

 記事によれば、アマゾンは「チームプレーヤー」の定義を「グループのコンセンサスに同調する者」とか「現状を維持する者」とはせず、「新しいアイデアと視点をもたらす者」として徹底しているようだ。優秀な社員を表彰する賞が「I'm Peculiar(私は特別)」と名づけられていることが示唆するように、同社は職場の慣習を覆す人たちを明らかに重んじている。“特別”になるためには、新鮮な視点と大きな改善(の可能性)をもたらすことによる慣習の打破が求められる。

 要するに、アマゾンは職場の和を抑制し、集団浅慮を防いでいるのだ。上司はフィードバックを与えるだけでなく、受け手にもなる。また破壊的な思考が歓迎され、対立とイノベーションは一体のものと考えられている。同社の中核原則のなかには、「異議を唱え、コミットせよ」と促すものがあり、そこにはベゾスの次のような考え方が反映されている。「職場では調和が過度に重視されがち」であること、そして「調和によって正直な批評が抑え込まれ、欠陥あるアイデアを行儀よく称賛する風潮が助長されるおそれがある」ことだ。同社では、職位の低い社員でも積極的に関与することが強く求められている。議論において、地位は正しさを保証するものではない。