人は「機械的なサービス」を嫌うが、人間味あるサービスとは何か。機械学習の進化が進むいま、我々が機械に期待することも変わってくる。

 

機械的なサービスはなぜ嫌われるか

 人工知能の発展が、多くの人の仕事を奪うのではないか。2045年にシンギュラリティ(技術的変曲点)が訪れ、コンピュータが人間の能力を上回る時代になるのではないか――。科学技術の発展が希望をもたらすとともに、いまや不安を掻き立てる要因にもなっています。

 機械は人に置き換わるか、という議論の前提には、両社を二項対立としてとらえる前提条件があるように思われます。私自身、まさにそのように考えていたのですが、最近その考えが変わりつつあります。

 よく「あの人は機械的だ」「機械のような対応」というのは、どちらかというと否定的な言い方で、多くの場合、画一的な対応を意味しているのではないでしょうか。機械が得意とするのは、正確に反復的に作業をこなすことで、その作業にバラツキがないことこそ価値です。正確さは仕上がりもそうですし、作業時間もそうで、1時間に何個つくる、という性能をきちんと発揮してくれます。この正確性に関しては人間は敵わないでしょう。

 なのに、「機械的な対応」が否定的に捉えられるのは、端的に言うと「人間味が感じられない」から。では人間味とは何か。それはこのような場合に求められる人間味とは、臨機応変な対応ではないでしょうか。ルーチンとしては定型的な対応でも、相手や状況に応じて微調整できる人間の能力を、顧客対応などでは期待します。

 以前、あるハンバーガーショップでハンバーガーを20個注文したのに「こちらでお召し上がりですか、お持ち帰りですか」と聞かれたという笑い話が話題になりました。こうした画一的対応は嫌われるのです。

 一方で「あの人は人間味がある」という表現は肯定的に使われます。それは、情に篤かったり、合理性より感情で動いたり、わかっていてもできない弱さなどを感じた際に使われます。