人への期待と機械への期待は、基本的に同じ

 機械が得意とする正確性や画一性は人間味を感じないものなのか。これは必ずしもそう言えないでしょう。人への信頼とは、こちらの期待を裏切らないことです。いつもきちんと仕事をしてくれる人は信頼できますが、きちんとしてくれる時もあるけど、そうでない時もある人への信頼は下がります。いつも明るく挨拶してくれる人には安心感を感じますが、その日によって挨拶の様子が変わる人は困ったものです。気分屋は、人間味があるといえばそうですが、できればバラツキのない対応をする人でいてほしい。ましてや仕事では、気分で対応されては話しになりません。

 弊誌DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの最新号「人工特集」でとても興味深い記事がありました。「あなたの上司がロボットに代わったら」という題で、人がロボットとどう付き合っていくか、いくつかの実験結果とともに考察しています。その中でロボットが上司だったほうがいいという意見も出てきます。なぜなら、ロボットは依怙贔屓(えこひいき)しないし、気分屋でもないからとのこと。これには納得です。

 気分が乗らないことを「人間らしさ」と割り切ってしまうと、人からの信頼も得られないことになりかねない。

 今後、機械学習が発展することで、ロボットでも状況に応じた対応をできる時代は訪れます。24時間稼働できるロボットの方が、(しかも他のロボットと情報を共有することで)蓄積される経験量は人をはるかに凌駕するので、人より機転の利いた対応ができる可能性もあります。人が人に期待することも、機械に期待することも、基本的に変わらないのではないか。両者の得意、不得意はあれど、それもいま機械学習の進化で急速に変わりつつあります。(編集長・岩佐文夫)